Q. 海外に行く上でアメリカを選んだ理由は何でしょう?
私が元々アメリカに興味を持った理由は、当時扱っていた製品の市場でした。 ヤマハは主に楽器や電子機器を開発製造販売している会社ですが、ほとんどの製品でメインの市場は北米でした。 そのため流行りの多くはアメリカから来ることが多く、その意味で常に注意を向けていました。
20代の頃の発想なんてとても純朴なもので「でっけえ市場を自分の目で見てみてえな!」というある種の憧れに近い感情を抱いていたのだろうと今となっては思います。
その後アメリカに駐在に行く先輩たちを見送りながら「いずれ自分も」と思い続けていましたが、結局そのタイミングは来ませんでした。 なおそれについてはシリコンバレーで多くの駐在員パパたちと触れ合ったうちの妻にこんなことを言われました。 「あなたは私が上司だったら駐在員では行かせないわよ。だってあなたアメリカなんかに送り込んだら羽生えちゃってそれでパッと会社辞めちゃうでしょ」 確かに、返す言葉も御座いません。皆様、賢明な判断だったと思います。
さて、結果的には色々とご縁があってアメリカに来ることができましたが、その際にも実はあまりアメリカだということ、さらにはシリコンバレーだということを深く考えていませんでした。やりたいことがある、という気持ちが先立っていたからです。これは私にとってとてもラッキーなことだったと思っています。 変な気負いもなく、過剰な期待もなくアメリカに来れたからです。 結果的にシリコンバレーはとても肌に合い、その時期の多くの経験と出会いが今の私を形作っていると言っても過言ではありません。
ここでは結果論として何が良かったかを振り返って整理してみたいと思います。
ひとつは、スタートアップシーンのトップの実態を直近で見れたことです。 これは20代の頃から持っていた「市場」の観点での選択はあまり間違っていなかったという言い方ができると思います。 市場が大きく、資本が集まるところでは何かしらエキサイティングなことが起きます。 シリコンバレーはそのスピードがクレイジーなほど速かったということです。
次に、真の多様性とそれがもたらす不整合を目の当たりにできたことです。 アメリカは移民の国です。先祖を辿れば皆移民なのだからきっと移民に優しい、という単純解釈は極めて危険です。移民も何世代かすれば意識は移民ではなくなり、先住者へと変わります。多様性を受け入れるのはそれが経済的合理性に適っているからであって、それ以外の理由ではほとんどの人は移民など来ない方が良いと思っているのです。 我々にRentを貸してくれた管理人の中国系アメリカ人の女性は日本人が好きだと言ってくれました。新日派らしく色々と言ってくれましたが、最後の方でチラッと「日本人は家を汚さない」「日本人でアメリカに来る人は優秀で給料が良いから家賃を取りっぱぐれるリスクが低い」と褒めてるようで心のうちの打算がうっかり漏れてしまったようなことを口にしていました。 誤解のないように。彼女はとてもフレンドリーで我々にとても親切にしてくれました。
また、貧富の格差がもたらすほぼ完成形に近い形を見れたことも非常に大きな収穫でした。 アメリカでは上位1%の富裕層が持っている資産が、下位50%の合計資産を上回ると言われています。極度に拡大した格差社会の先駆けです。
とはいえ所詮これは統計上の数字でしかなく、上位1%とは別に友人でもありませんし、自分がどこの順位に属しているかなど意識していませんので、生活シーンで何かを感じることはあまりありません。 そうハッキリとは。 しかし、じわりじわりと折に触れて「何かおかしいな」と感じることがあります。 例えばシリコンバレーでは賃貸の価格が信じられないペースで上がり続けていました。
しかしIN ‘n OUTに貼ってあるアルバイト募集の時給はそのペースに明らかに追いついていません。Uberの運転手も散々頑張ってIN ’n’ OUTよりちょっとマシ、という賃金しかもらえていない計算です。
「誰がどうやってそのRentに住み続けているのか?」 ほとんどの場合でそれは「新たにその地域に入ってきたお金持ち」ではないかと思います。
私がシリコンバレーに渡った2011年、サンタクララ周辺では$1300~1500くらいで2Bed(日本でいう2LDK)を借りることができました。結局私は$1600くらいでSunnyvaleに住んだのですが、2年住んでいる間に$2100まで賃料が上がりました。 その後引っ越したFoster Cityでは$2400, $2800, 最終的には$3000まで家賃が上がりましたが、これは周辺と比較するとかなり良心的な価格でした。同じ地域で同じような間取りで$4000に届くような物件も沢山あったからです。 何故これに私が耐えられたか。それは給与が上がり続けていたからに他なりません。
私はアメリカに渡る際にかなり低い給与に抑えていました。通用するかわからない新参者が乗り込むのだから当たり前と言えば当たり前です(それでも日本の感覚からしたらかなりの高給取りでしたが)。 その後順調に年毎にほぼ無造作に給与を上げてもらって、3年経つと年収換算で$20000以上上がっていました。これによって私は家賃高騰への穴埋めができていたわけです。 しかし、これは私がアメリカに来たばかりで、かつ自分が有用であることを証明することで順調に給与を上げてもらえていたから成立する話です。
ある時、サンフランシスコ市内の路面電車を運営している会社の平均給与が年収換算で約800万円ほどで、賃上げのストライキが起きているというニュースを見ました。 日本に住んでいる感覚からすると全く意味がわからない話だと思いますが、もし仮にサンフランシスコに住んでいて年収が800万円だとしたら、家はルームシェアで、もし結婚して子供がいるとしたら仮にダブルインカムでも子育ては難しい、という金額感です。 もう既にじわりじわりと崩壊が始まっていました。
振り返ってみると、非常にエキサイティングな経験をする一方で(他の項で触れてあるのでここでは文量を割きませんでしたが)その先にある怖さとそれを支える地盤の脆さを目にしたように思います。 日本は「ミニ・アメリカ」を目指すのをやめなければならない、とよく言われますが私は至って同意見です。 アメリカはきっとこれから変わってくると思います。そのための入り口としての荒療治がトランプ大統領の当選だったようにも私には思えます。 日本はわざわざこれから周回遅れでアメリカが既に嵌った穴にわざわざ嵌りにいく必要なんてありません。それを実感として知っているだけで、私はひとつの大きな財産を持っているような気がするのです。
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