「わかんないけど、わかるよ」のバリュー
何言ってんだこいつは?というタイトルだが、とても大事なこと。
先日友人との会話の中に出てきたフレーズだ。
スタートアップを単独創業した経営者を想像するとわかりやすいのだが、時に人はひどく孤独だ。
経験豊富な経営者であったり、積み上げた失敗の反省の上にさらに今を積み上げようとしている人は、その文脈において、まさに孤独だ。
世の中大きめの失敗をしながらももう一度何かをやろうとする人は少ない。 したがって必然、成功者たちの中にはどうしても「成功しか知らない人」が多くなってしまう。
彼らに手痛い失敗の入り口はわからない。
その葛藤も、嗚咽が出そうになる想いもわからない。
同じ会社、同じオフィス、同じ釜のメシを食ってがんばっているメンバーたち。 今いる場所は一緒でも通ってきた場所は違う。
やはり、仕方がなく、孤独だ。
私はそれなりに、私のことをよく知っている人からは「あれはやらかしたな」と言われる失敗をしている。それも一度ではない。
この「失敗」というのは、言葉遊びでしかないかも知れないがいわゆる「ミス」とも少し違う。 うっかり犯した何かではなく、経験不足から来るような見落としでもなく、 帰結を想定した上でもそれを選択できない何かに出くわし、そして自らの心や信念に従った上での失敗なのだ。
何の話をしているんだか段々わからなくなっただろう?
でもごく一部の人には何の話をしているのかが『ものすごくわかる』はずだ。 やはり、改めて、孤独なのだ。
私には「わかんないけど、わかるよ」と言える。
本質的に個人の葛藤は他人にはわからない。
テクニカルにわかる人はいるだろうけど、テクニカルに悩む相談事というはいわゆる「他人と話して頭を整理したいだけ」の悩みだ。 そんなことで血尿が出たりしない。
「とりあえず聞いてあげることはできるよ」というセリフもよくある温かみのある言葉だ。 しかし聞いてもらって気が晴れるのはその場だけで、何の覚悟も決まらない。
「わかんないけど、わかるよ」のセリフを繰り出す時、実際は内容についてほぼ理解できている。 しかしそれを提示することは違う。 彼の葛藤は彼だけのものであって、その結論や結果を礎に彼が進んでいくのだ。