小林亜星が「音楽なんてほとんどがパクリ」と言ってたけどそれはある意味で真理なわけで、

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box with brain inscription on head of anonymous woman

「画期的なアイディアを思いついた!!!」

とシャワーを浴びながら小躍りしたくなることはよくある。

しかしその『画期的なアイディア』というものはほとんどの場合で
真の意味での『画期的』にはなかなか届かないもので
よくよく調べたら似たようなものが既にあったり、
そのアイディアを煮詰めているうちに他の人が似たようなものを出したりするものだ。

でもそのとき言うべきセリフは
「早くやれば良かった、チクショウ!」
ではなくて、
「お、同じようなこと考えるやつがいるってことは良いアイディアなのかもな」
が正解なのだろう。

そういっても私もついつい前者を言いたくなっちゃうから
このブログポスとは実は自分自身への戒めだったりする。

冷静に『彼ら』の状況を見守り、フィードバックを自分のことのように確認するのだ。

市場のリアクションはどうだろうか?
コミュニティの形成はできているだろうか?
開発は何人くらいの規模でどのくらいの期間をかけて行っているだろうか?
彼らはそのアイディアでどのくらいの資金調達に成功しているだろうか?
自分から見てどこがGOODポイントでどこがBADポイントだろうか?

そして分析する。
彼らと自分のアイディアとの差分は?

アイディアとそのブラッシュアップの関係性は
スポーツ選手でいう『才能』と『努力』みたいなもののように思える。

才能というのはほとんどの場合で生まれながらに備わっているもので
生まれながらではないとしてもかなり幼い頃に育まれたものだと考えるのが妥当だ。
そしてそれはほとんどの場合でしばらく眠っている。

例えばサッカー日本代表の長友は信じられないほどのスタミナが売りの選手だが
実は中学まではどちらかというとスタミナが無い方の選手だったという。
しかしその後紆余曲折あって努力を重ねるうちに
今では世界でも類を見ないほどのスタミナを誇る選手になった。

彼の躍進は才能だけではないことは明白だが、努力だけで語ることもできないだろう。
中学時代に長友選手と同じ練習をこなしたチームメイトはどうだろうか?
高校時代に彼よりも練習を積んでいた選手はいなかっただろうか?

彼は元からあった才能の発掘に成功した、と考えるべきだろう。
そしてそれを大事に育てることにも成功した。
これらは切り離して考えることはできなくて、両者が揃って初めて意味があるものだ。

さて、話を戻すと、
アイディアは眠っていたりポッと出てきたりするものだが
それだけでは使い物にならない場合がほぼ100%だと言って差し支えないだろう。
ポッと出てきたアイディアだけで勝負するのはあまりに無謀過ぎる。

ボクサー志望の元不良。
いくら常識はずれの爆発的なパンチ力を持っていたとしても、
ろくに練習せずにプロでデビューしたら
世界タイトルどころか日本ランキングにすら届かないだろう。

アイディアを「湧いて出る」なんていかにも価値がありそうな言い方をするけど
本当は木の実が地面に落ちるがごとくにポロッと目の前に転がってるものであって
同じようなものがそこら辺に転がっているのが当たり前。
それはあたかもジュニアユース世代に才能の塊のような選手がゴロゴロいるような状況だ。

確かに才能ってそれ自体スゴいことだけど実はそこまでスペシャルなことではなくて
そのあとたくさんの才能が脱落していく過程が存在する。それが努力だ。
アイディアはブラッシュアップしなければ光らないし、通用しない。
だから同じようなアイディアが市場に存在したって悲観する必要はない。
アイディアは所詮今後のブラッシュアップ次第で化けるかどうかが決まるのだから。

例えばGoogle, 例えばApple, 両者とも今や世を席巻する企業のひとつだが
初期のiPodのようなHDDを使ったミュージックプレイヤーは他にもあったし
iTunes Storeのような試みは過去より何度となく繰り返されてきた。
検索エンジンも当時乱立状態だった業界の中でGoogleは後発だったし、
未だに他社のものを愛用しているひとは相当数いる。

だから彼らの現在の成功を見ながら
「なんでうちらじゃなく彼らが、、、」
と苦虫を噛み潰すひとは多くいるのだと思う。

しかし、全く同じ才能というのが無いように全く同じアイディアというのも無い。
決まった努力の方法というのが無いように決まったブラッシュアップの方法も無い。
全く同じ選手というのがいないようにきっと全く同じアウトプットも存在しないのだ。

差はある。だから差ができる。

だから同じようなアイディアが市場に存在するのを見つけたら
自分と同じような才能を持った選手が先にプロデビューしたと思えば良い。
デビューのタイミングは年齢の問題だったりクラブの事情だったり色々な要素が絡み合うもので
将来を見据えた時にデビューが早いかどうかと名選手になるかどうかに明確な相関なんてない。

遅咲きの名選手もいるし、早熟で消える選手もいる。
元巨人の上原投手なんか良い例だが彼は一浪して大学卒でプロデビューして
30代後半になってメジャーでMVPを取るような選手になった。
逆にサッカー元日本代表の森本なんかは15歳でデビューし注目を集め
かなり若い段階でイタリアに渡ったがその後伸びず、
現在はJ2の千葉に所属しているものもそこですら目立った成績は残せていない。
早熟で注目を集めながらあっさり消えていく例なんて、、、それこそ日常茶飯事だ。

同じようなタイプのライバルを見つけたら、
彼とまったく同じ選手になったところでレギュラーは取れないだろうから
きっちり彼との差を見つけ出す必要がある。そして自分の特長を明確にして、そこを伸ばす。
そのとき彼のプレーは非常に参考になることだろう。
見習うことも反面教師になることもあるだろう。
気付いたら同じ才能からスタートしているにも関わらず
彼とはまったく違う選手になっているはずだ。

そしてそこでようやく勝負だ。

他人と比較して短絡的に諦めてしまうのは人間の悪いクセだ。
そして「他人と比較することに意味なんて無いよ」という慰めは
とても心地良いが的外れな詭弁でしかない。

比較するべきなのだ。真面目に取り組む気があるのなら。

自分が自分であることの認識をもたらすのは他人であって
それをあたかも自己発生的に自動生成されるものだと捉えるのはあまりに無理がある。

そもそも『他人との比較』というイベントをネガティブに捉えている時点で間違っている。
比較は発見の良い機会であってすごく楽しいウキウキすることなのだ。
そりゃ自分の欠点ばかりをみつけてうんざりすることもあるかもしれないけど
そんな中で「お、自分いけるじゃん」というポイントを見つけることに注力したい。

それが難しいことだということはわかっている。
人間は傷つきたくないし、図星をつかれるのは大嫌いだ。

だから言った「真面目に取り組む気があるならやるべきだ」

そうでもない時はやめた方が良い。
他人とアレコレ比較することはストレスもかかるし、気持ちいいことばかりではない。
逆に「おれってサイコー」「オリジナリティばっちし」と自分大好きに浸る行為は
ハッキリ言ってものすごく気持ちいい。

だから三度目に言っておく。
「真面目に取り組む気があるのなら比較分析しろ。そうじゃなければやめておけ」

これが自分に向けたメッセージ。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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