ベストセラー「時間は存在しない」を解説する

投稿者: | 8月 25, 2021

イタリア人の物理学者カルロ・ロヴェッリの著書でベストセラーとなった「時間は存在しない」の解説をしてみたい。

正直かなり困難な行為だと思う。
というのもこの挑戦的なタイトルはある程度の物理学の知識を持った人には理解しやすいが、初学者にとっては感覚とは完全に反した話だからだ。
したがって「全文読め」と薦めるのが本来正しい。それで理解できる人は理解できるし、理解できない人は理解できない。
しかしそれでは勿体ないくらい著書の内容は非常に面白いので、それを広めるためにも挑戦してみたい。 ここで順番に要点を紐解いていけばある程度のところまでは初学者でもわかってくるのではないかと思う。

目標はうちの妻(元看護師、ITもスタートアップも電気も物理もノーサンキューの人)でも20回くらい読んだらわかるように、だ。

なおこの本に書かれていることは
・既に広くオーソライズされた内容
・著者たちのグループの主張で現在学会などで議論中の内容
・過去の学者が立てた「間違っていたけど取り上げる価値のある仮説」
などが混ざっているので読むときにはその点は注意が必要だ。

さて始めてみよう。

<固有の時間が存在しない>
まず理解しなければならないのが「絶対的な時間が存在しない」という事実だ。 これは比較的わかりやすい。 例えば
①標高が高いと時間の進みが速い
②飛行機の時計は遅れる
③1光年向こうの星にいる人とテレビ電話できるとして相手に「今何してる?」と聞いたとしてもあなたが認識している「今」の話は聞けない

①と②は主にアインシュタインの功績だ。

「重力が時間を減速させる」という、これは既に「観測に基づく絶対的な事実」である。 実際に色々なところで計測を行い、時間の進みが標高によって異なることは何度も繰り返し確認されている。これは納得するしかない。
つまり地球上で物が落ちるのは地面の方が時間の減速度が大きいから(時間がゆっくりだから)だと考えられ、この重力を司る機能の解明が現代の物理学の最大のテーマのひとつとなっている。

速く動いているものの時計が遅れる話は、双子の兄弟が片方は宇宙船に乗り他の星との間を往復し片方は地球で待っていると地球で待っていた方が先に歳をとっている、という例えでよく語られる(私も小学生の時にアインシュタインの本を読んで物凄く興味を持った)が、アインシュタインがそれに気づいたきっかけはマクスウェルの方程式(電磁気学の関係性を記述した超エキサイティングでスマートな方程式)を『動くもの』について解いている時に発生した疑問によるものだった。 必ず時間を記述するtとは異なるt’を導入しないと方程式を解くことができない。
アインシュタインはこれを「動いている人の時計」と解釈した。

つまり同じ場所にいたとしてもじっとしている人と例えば左右に微小振動を繰り返している人では微妙に時間の進み方が違うということだ。これも実験によって実証されている。
(ほぼ)同じ場所にいるにも関わらず時間の経過が異なる。
もはや万物に共通の「時間」などは存在しないということがよくわかる。

なおアインシュタインは若い頃はどこかの有名研究所などではなくスイスの特許事務所で働いていたというのは有名な話だが、その際に時計の同期に関する特許を取り扱い、そこで「時刻の完全な同期は不可能である」ということに気が付いた。それが彼がこの世界にどっぷり入り込むきっかけだったのかも知れない。

最後に③は、単純には通信スピードのせいであなたが問いかけてから相手は1年後にそれを聞き、相手の返事は1年かけてあなたに届くので延べ2年後に返事が届く(しかもあなたが問いかけてから1年後の相手の言葉を)ということだが、これに対しては色々と代案を考えることもできる。
例えば「報告をする日時を事前に決めておく」としたとする。
しかし前述のとおりに場所と移動速度が異なればもはや一定の時計を保持できない。つまりあなたの「今」と相手の「今」は移動し始めた時点で既にズレている。
仮に一光年向こう側の相手を見ることができる望遠鏡があったとして、あなたが今見ているものを「今」としてしまえば良いのではないか、と考えたとする。
しかし仮に光速で移動する方法が開発されたとしたら、あなたがそれを見た瞬間に隣にその相手がいるかも知れない。そうしたらあなたが認識する「相手の今」はどちらだろうか?やはり望遠鏡で見たものは「今」ではない。 つまりあなたが認識する「今」で遥か遠くの何かの「今」を認識することは不可能なのだ。

とはいえここまでで挙げたような不整合を感じることなく我々が過ごせている。 それは、人間が概ね認識できる時間のズレなど0.1sec程度が良いところで、地球上の出来事である限りそこで発生するズレなど認識の限界に比べて何桁も小さい。だから「地球上の人類」に限定すれば「今」を共有している気分になることは十分可能なのだ。

<『固有な時間』の歴史>
実は1883年に最初の標準時の分割が行われるまで『場所によって時間が違うことなど当たり前』だった。 これは利便性の角度で考えれば至極当然の話だ。
通信が現代ほど発達しておらず、個人の時計が普及していないため時間にルーズだった時代においてはほとんどの人にとって「標準時刻で今何時か?(待ち合わせの時間に遅れないように)」ということより「日の入りまであと何時間か(そろそろ作業は切り上げて夕飯にするか)」とか「あと何時間で太陽が南中するか(釜の火入れはいつしようかな)」というような情報の方が遥かに重要だったということは容易に想像できる。

我々が日常的に通信で感じる「遅延」は時間そのもののズレではなく通信の変調復調にかかる時間であったり音声と映像の処理にかかる時間であったりパソコンの他のタスクの兼ね合いで処理速度が圧迫されたことによる遅れなどの足し算であって、あくまで技術的なものだ。

実は『固有の時間』について、記録に残っている限りで最初に否定的な見解を示したのはアリストテレスだ(マジで化け物)
時間は事物の変化の回数をカウントしたものであり、もし事物の変化が無ければ時間は経過しない。暗闇で我々は何も経験しない、つまり時間は経過しない。しかし、我々は何かを思う。つまり時間は経過する。
というような考え方だ。
これ一見荒唐無稽な概念論のようで、実は近代物理学が紐解いてきた世界観とかなり合っている(本当に化け物)

時間が進んでニュートンの時代。
ニュートンはアリストテレスが言うような見かけの時間を肯定したが、それとは別に絶対的な時間(観測はできず、計算式にのみ出てくる)が存在すると考えた。 そしてニュートン方程式によって、我々が見る「ほとんどの事物」の物理現象が説明されることで「ニュートンが正しい」という風潮が広がった。
ここで『固有の時間』という考え方が我々の中で固定化される。
しかし実は当時の哲学者や思想家はアリストテレスの立場に立ち、ニュートンのこの考えに反発したものも多かったという。

つまり我々がもし「固有の時間が存在する」と思っているとしたら、それはニュートンに思い込まされているだけである。 その後物理学の世界ではアインシュタインが相対性理論を発表し、量子力学が発展し、多くのニュートン力学で説明できない事象を説明し、理論は塗り替えられていった。

素粒子の存在を否定する現代人はいないだろう。
量子力学の分野で発見された数々の事柄を頭ごなしに否定する現代人がいるとも思えない。
だったら時間の存在を肯定する現代人がもしいたら、それは時代遅れで間違っているのだ。

現代の量子重力理論の誕生は1967年のブライス・ドウィットとジョン・ホイーラーの論文。 量子重力理論を構想していくと方程式の中に時間の変数がなくなってしまった。彼らは混乱し、その課題を未来に丸投げした

<閑話休題:時間はなめらかではない。飛び飛びである>
物質の最小構成要素はなんだろう、という問いは長らく物理学者たちを研究に駆り立てた。 最終的にそれは量子論へと辿り着き、今では
プランク長=10の-33乗[cm]
というのが一般的な理解だ。それ以上小さい長さというものは存在しない。それ以上小さい粒子が存在しないのだから計測のしようもない。
同じように時間にも最小単位があって
プランク時間=10の-44乗[sec]
がそれである。これ以上細かい時間は存在しないのだから、つまり時間は飛び飛びの離散的な値だと言える。人間はそんな細かい時間が認識でないから連続的になめらかに繋がっているように感じているだけなのだ。

ちょっと不気味な気がするかも知れないが、我々は離散的な世界を生きている。

<世界は物でできていない>
ここからかなり近代物理学の領域に切り込んでくる。 高校で物理を学んだだけの人は恐らく聞いたことがない話に入ってくる。これは大天才アインシュタインですら誤認していた部分があるというほどのとても複雑な領域だ。

物を分解していくと、最小単位は
原子>素粒子>場
となる。場とは出来事のこと。 つまり物自体が出来事の「特殊な状態」である。
例えば石は量子場の振動の特別な状態のことである。それが素粒子に作用し、原子に作用し、たまたま固定化された「石」の状態を人間は見て、触って、感じている。

場は素粒子、光子、重力量子、これらで空間を作る。
ここに時間は出てこない。
時間は方向があるわけでも一直線でもなく、アインシュタインの言うように湾曲した幾何学の中にあるわけでもない。

<人間の目はほとんど曇っている>
量子状態のことを「確率の雲」と言い表すことがある。 というのも量子力学の基本的な原則
・全ては確率分布で定義される
・観測するまで状態がわからない
という点をとても印象的に表現しているからだ。

量子の世界では、何物も他者との干渉によって振る舞いが確定する。
その前の状態はあくまで確率的な「あり得る状態」がいくつもあるだけで「実際にどの状態なのかはわからない」という直感的な理解が難しい状態であるということが、確かに数々の実験等によって確認されている。
ミクロな世界ではその干渉と確定の連鎖が常に起こっている。しかし人間の認識能力ではそれを直接見たり触れたりすることはできないため詳細を知ることができない。
そのため人間は、実体の近似の近似のそのまた近似だけを見て「それが世の中だ」と誤認しているのだ。

時間もその近似の近似のそのまた近似の世界(我々が生きている世界)では単一のものとして認識可能であるが、量子の世界では相互作用の中で、その相手との関係の中でだけ姿を現しそして消えていくものなのだ。

<エントロピーの増大>
時間が消える、というと不可解さが一層増すだろうが、なんのことはない。全ては生まれ、消えていく。それはエントロピーの増大(熱力学第二法則)によるものだ。
エントロピーとは、整っていると低くてバラバラな状態が高いということを表現する指標だと理解すれば十分だ。

例えば薪はエントロピーが低い(原子が整然と並んでいる)が火がつくことで燃えてエントロピーが高い(原子がバラバラ)状態へ移行できる。
宇宙において水素はエントロピーが低い、ヘリウムに行きたいが星の爆発が必要で、 その爆発は収縮した巨大水素が必要で、それができるには何百万年もかかる。
エントロピーが低い状態は固定的で、何かがあると増大へ向かう、そしてまた停滞してしばらく経って何かがあるとまた扉が開ける。全ての生命の営みはこの流れに沿っている。

物体が落ちるのはエネルギーを低くするから、ではない。エネルギーは総量では保存される。力学的エネルギー(エントロピー低い)を地球に熱(エントロピー高い)として伝えるから、が正しい答えだ。

世界は宇宙誕生の秩序から無秩序へとゆっくりと崩壊する砂の山のようなものだ。

そしてそんな世界の中で時間は実在のものではなく、真の実在は重力場だけなのだ。

<世界は物ではなく出来事のネットワークでできている>
前述のブライス・ドウィットとジョン・ホイーラーの論文で示された方程式というのは、それぞれの事柄の繋がりを示した方程式。時間という変数が無い世界がそこにあった。
なお言われてみたら、かの有名なシュレディンガー方程式も変化を記述した方程式だ。

ハイデッガー「時間はそこに人言なる存在がある限りにおいて時間化する」
自己は世界の認識と相互作用によって生まれる。

アウグスティヌスは「時間は精神の中にある」と言った。 そもそも「現在」というものは流れているのに「現在」を認識し続けることができるのは何故か。過去は記憶であり、未来は予測である。現在はそれを認識している自己である。 それらは結局全て自己の中にある。

量子論では、観測者(何かしらの干渉をする相手)がいない限りその物体がどんな状態なのか、あるのかどうかもわからない。 時間もそういうものだということだ。

時間は変化を計測する尺度。
しかし全てを計測することに適した単一の変数tは存在しない。
全くもってアリストテレスが言った通りである。

<今後の課題>
時間の遅延、現在が存在しないこと、時間と重力場の関係、エントロピー、これらは全て証明済みの事実だ。
しかし重力場の量子化はまだ理論のレベル。実験結果はない。
また基本方程式に時間変数が無い、という点も確定した事実ではなく、現在激論中のホットな話題である。