欧州出張(ミラノ – ベルリン)の所感

欧州、といってもミラノとベルリンだけだが、この時期に欧州に行けたのはそれなりに幸運と思うので(ちょうど2022/9/7に日本の水際対策が緩和された)それなりに気がついたところなどまとめてみたい。
サッカー関係の話はこちら → ミラノダービー観戦のTipsを伝授する


なお私の渡欧経験は、学生時代に初めて旅行でぶらり。新婚旅行でイタリア。仕事でイギリスとドイツとエストニアに一度ずつ。親戚の結婚式でドイツとチェコに。後は親戚の家のドイツに遊びに一度。
ならすと3~5年に一度どこかしらに。まぁその程度だ。
〈ミラノで感じた自由〉
とにかく格好が自由。
これは「ミラノはファッションの都市ですから」とかそういう話でなく、日本にいて久しく忘れていた「人目を気にしない生き方」というやつをビシビシと感じた。
これは良い方に行けば年配のおばあちゃんが真っ赤なハイカットのブーツを履いてたり、白髪のおじいちゃんがアルフレッド(ニュー・シネマ・パラダイスの登場人物)みたいな云十年前の職人そのものも格好で仕事してたりして、すごくほっこりしたり勇気付けられたりする。
悪い方にいった事例の話はしないでおこう。うん。



〈マスクに対する態度〉
ミラノでは「公共交通機関ではマスクをつける人が3割くらいいる」というのが至ってフェアな表現だと思う。道端や店舗ではゼロ。美術館などでもマスクはしない。職員もしていない。
ベルリンでは「公共交通機関では基本的にはマスクをする」というスタンスだった。
とはいえ着用率は5割強というところだった。ジャパニーズのワタクシとしてはベルリンでは電車乗るたび必ずマスクしてたけどね。
店員さんはマスクしてるケースが結構あった。でも泊まったホテルはスタッフもシェフもみんなマスクしてなかったなぁ。そこらへんも個人や組織の判断に任されているということなのだろう。
〈洗練された感覚のあるベルリン〉
ミラノの自由に比べるとベルリンの方がいくらか緊張感を伴っていた。
ミラノでは髪にワックス付けるのなんてやめてしまったのだが、ベルリンでミラノにワックスを置いてきたことをちょっと後悔した。笑
人間は視覚情報を無意識に解析して様々な変換と解釈を行っているようだ。
〈東洋人の少なさ〉
アメリカ(特にシリコンバレー)にいた感覚からすると、中国人の少なさにとてもビックリする。 ミラノでは店員でひと家族、ベルリンでは一度も遭遇しなかった。
ベルリンで代わりにそれなりにいたのが韓国人だ。日本人はホントにいない(IFA会場に日本から来た日本人はいたけど) ベトナム系もいないし、インドも少ない。
その代わりにベルリンでは中東系の多いこと多いこと。
ミラノは観光都市なせいかヨーロッパアングロサクソン系が遊びに来ているのにたんまり遭遇する。
いずれにせよ、欧州って案外日本人来てないのかなとは感じてしまう。
例えばドイツへの移民の出身国のデータは以下のとおり。基本周辺国なのね(特に東欧中心)

〈立ち止まるという概念〉
欧州に行って真っ先に感じるのが、沢山の旧い建物を残したまま街並みを成立させていることだろう。 日本で言うと京都のような街並みがそこら中にあるということだ。
欧州の街を空から見ると驚くほど茶色だ。屋根が徹底的に統一されているからだ。 若い頃はそれを「なんかカッケー!!」くらいにしか思っていなかったが、ここから現代に必要な1つの概念に欧州が早めに辿り着いた理由を推察できる。
それが「立ち止まる」ということだ。
街並みをそのまま残すには何かしら妥協すべきことが発生する。超高層ビルは建てれないし、巨大プラントを設けることもできない。 でもその妥協を受け入れてきたのだ
「価値のあるものはそのままにしなければならない。必要ならそこに金を使うことも厭わない」
今それが必要なのは地球環境だ。
プラネットバウンダリーから始まり今では学術的にはいくつかのTipping Pointが定義されそれらが「立ち止まれるように」監視、管理され、そしてさらなるイノベーションが生まれることが期待されている。
アメリカやそれを踏襲してきた日本が「やべ、立ち止まらなきゃいけないってしんどくない?(ちょっとごまかしとこ)」と逡巡していた間に欧州がいち早く様々な舵を切り始めた図式はこういうところからも納得できる。
〈道端のゴミ〉
試合後のサン・シーロ周辺は酷かった。
と極端な事例を挙げても仕方がないが、全般的に見て 汚さは
ミラノ > ベルリン >>> 日本
の順だ。
特に歩きタバコに対する規制が甘い?無い?せいか吸い殻の量が両国半端ない。
法的には限られたエリアおよび私的空間以外での喫煙は禁じられてるはずなんだけど、実質的に反故になっているという印象だ。
この点はカリフォルニアとはちょっと違う。(カリフォルニアは喫煙者はマジで隠れて吸ってる)
〈夏のベルリンはマジで天国〉
まだ9月の初めの朝の散歩。薄い長袖の上着を羽織って出ると、少しひんやりした空気が顔に当たり、日差しはさほど強くはなくしかし暖かな雰囲気を保ち、でも汗は一切かかない。 こんな天国気候ある???
ミラノはそれに比べると少々暑い。気温自体は日本とさほど変わらなくて、湿気だけが低い。 部屋干しの洗濯物が一晩で乾く。なにコレ。
ベルリンからミラノに帰ってきた時に「やっぱ暑いなぁ」と思ったけど(現に電車内のマスクで汗かいた)日本はここから更に湿気が上がると思うとゾッとした。
〈テック臭〉
ミラノではテックのテの字も探すのはひと苦労だ。 ただしシェアスクーター・シェアバイクの充実度はヤバい。 雑に確認しただけで10社は営業している。















ベルリンは工業都市らしく家電量販店を探すのも苦労しない。しかしアートの街という打ち出しが強くテックの影はやはり薄い。
それよりもSustainability の文脈を若者中心に見かけ、それなりの存在感である。 シェアスクーターの受け入れが進んでいるのもそういう文脈のテックだからだ。
単なるテックで刺さるというのは既に大きく時代遅れなのだろう(少なくとも欧州では)
〈ちょっと移動しても街が終わらない東京の異常性〉
欧州では教会を中心に街が作られる、なんて言われる。地方都市はまさしくそうだが都会では必ずしもそうとは限らない。
しかし街の中心というものがあって、そしてその円周外に郊外(いわゆる緑が豊かな開けたエリア)があるという構造自体はどこでも変わらない。
ではそれってどのくらいか?
欧州だけに限らないが諸外国での感覚値では、車で20, 30分というところだろう。
それに対して日本、特に東京では、丸の内から30分車を走らせても、西に行ってもまだ渋谷、東に行ってもお台場。北に行っても北千住くらいで南に行っても川崎まで行けないかもしれない。
東京は異常だ。
〈日本だけ動きづらい違和感〉
欧州での移動は快適だった。振る舞いに気を遣う必要もないし、そもそも国家間の移動が制約がないし。
その点最後の最後、日本に帰るところで煩わしさが待っていた。
とはいえ水際対策はだいぶ緩和されている(PCR検査は不要になった)
しかし日本に入るためだけにインストールしたアプリ(MySOS)が、入国何日か前に設定すべきなことに前日に気づく、接種記録の取り込み方法がインストラクションではよくわからずネットで調べる、検疫に到着した時にどの画面を表示しなければならないかの説明がない、表示させるためにネット接続が必須、空港のWiFiはどれも混み合ってしまっている、モバイルネットワークは使えるが電波が弱い、あ、5GHzなら空いてそうだ、結局遅いが待つしかないな。。。
うんざりしてしまった。
日本人がそうなんだから諸外国の人からしたらなんなんだコレだと思う。
空港からバスに乗ったが、国際線から降りた人たちはバス待ちの時(屋外)にみんなマスクをしていないというのがある意味ちょっと面白かった(私も当然してなかったけど)
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