どこかの大企業より近くの馬の骨

投稿者: | 10月 23, 2013

 この記事は過去の投稿の復刻版=back numberです
ここシリコンバレーならではの文化なのか
たまたま私がそういう事例ばかり見かけるかなのかわからないが
「どこかの大企業より近くの馬の骨」
というポリシーに近いものを感じる。
これは主にパートナー選択の際の話だ。
というのも、シリコンバレーからは様々なインフラ系スタートアップが成功を収めているが、それらの最初の顧客は大抵シリコンバレーの企業なのだ。
インフラ系は早い段階である一定数の顧客を手にできるかどうかが勝負だ。
その意味ではシリコンバレーは非常にその手のビジネスはトライしやすいところだと言える。

さて、まずは日本の現状から言及してみよう。
日本では未だに『起業』や『ベンチャー』に対してネガティブな印象があることは否定できない。
この感情は法制的な経緯や、実際に『起業』して『ベンチャーしちゃった』ひとたちの様々な動向がメディアに揶揄され抽出され誇張され、事実無根だったり真実無二だったり、それで周囲が歓喜したり罵倒を浴びせたり、もろもろのながーい経緯と歴史の中で構築されていったものだ。
当然『常識』というもののコントロールは一朝一夕にしてなるものではない。
どれか個別の事由に言及することは問題をわかりにくくする。
あくまで『ニホン』という総体としてこれらネガティブな感情を押し進めていると考えるべきだ。

ではなぜそうなっているかというと
短絡的に思いつく根本原因は「寄らば大樹」である。
農耕民族的で転覆を好まない文化、とも言い換えられる。
これは非常にわかりやすいもので特に細かく言葉を付け足す必要もないだろう。
買うものを迷ったらとりあえずブランド物、飲む店に迷ったらとりあえずチェーン店、就職するならとりあえず大企業、という発想だ。
これはある意味で合理性に満ち溢れている。迷ったり困ってる時点で大樹に寄った方がアウトプットの最大化ができるのは目に見えている。
しかし、ここではちょっと違うキーワードを取り出したい。

「応援」と「過大評価」だ。

アメリカ人は得てしてすぐ熱くなりがちだが、対して日本人はやはり傾向としては冷静で常に一歩引いていると思う。
だから日本なんかではスポーツも野球のような「ビール飲みながら応援歌を歌う」というなんとも呑気な応援スタイルが長い間しっくり来ていたのだ。
「応援に命なんてかけない」
「うっかり熱くなり過ぎたらちょっと恥ずかしい」
日本人としては至極もっともな反応だ。
さて、もう一点のキーワード。

日本人は過大評価を嫌う。自分に対しても他人に対しても。

儒教的な謙遜を身につけた国だからというのもあるがそれと同時に
「もし勘違いだったら恥ずかしい」という保守的な姿勢の現れでもある。
一転アメリカではよく『He is a kind of genius』とか平気で言う。
日本で「いやぁ彼は天才だね」とか言ったら確実にお世辞か下心アリだろう。
アメリカでは他にもけっこう『万能説』(彼は何でも出来る)や『謎のプロフェッショナル説』(ちょっと知ってるだけでプロフェッショナル)とか色々な過大評価が存在する。下手をすれば自分で言う。
これは「応援」で盛り上がっちゃう文化だからなのではないかと思う。
応援してるチームがめたくそに惨めに負けることを恐れていないし、過大評価をしたやつがしょぼい結果になることも恐れていないのだ。
これは全くもって爽やかな文化だ。
「やらずに悔やむよりやって悔やむ」
とは自分自身の選択の際にはよく言うけどそれを他人の応援にまで適用できる懐の深さは日本人に欠けているところのように思える。
間違ってもいいじゃない、がんばってることは素晴らしいことだし、それりゃ応援したくもなるさ。
この少々短絡的で情に溢れた精神を仕事においても適用している非合理的民族がアメリカ人だ。
どっかの大企業のよくわからない個人的に付き合いのないひとよりも目の前にいて、以前から知ってて、がんばってるやつを「応援」したいのだ。
リスクをシェアすればリターンもシェアできる。
いくら協調しても負ける時は負けるが、失敗後のダメージは小さくできる。
落とし穴に落ちた人間は負け犬ではなく落とし穴の位置を発見した功労者だ。

ある部分はワールドワイド、ある部分は村社会。それがシリコンバレーの気質だったりする。