Q. 日本の製造業は中国にはもう勝てないか?

投稿者: | 8月 14, 2021

「勝ち負け」は定義にもよりますが、「中国と同じようになる」という意味ではもはや不可能と言って良いと思います。  理由は圧倒的な資本力の差です。 日本の多くの企業は新規で大型の生産ラインに投資する資本も体力も、さらに人的リソースも足りていません。

しかしながらコロナ禍を通して多くの人々がサプライチェーン、特に生活に重要な物資の供給を他国に過剰に依存することの危険性に気づきました。 そして都合のよいことに今日本はすでに先進国ではありません。 労働賃金はさほど高くありませんが、長年のデフレで物価の上昇も伸び悩みリビングコストもさほど高くはありません。 したがって日本で製造業を営むことの合理性は近年上がっていると考えて差し支えありません。 これはとてもグッドニュースです。

多くの人々が新自由主義に基づくグローバル経済に疑問を感じ始めたこのタイミング、まさに変革のタイミングに日本が新たなビジョンを抱いて製造業を推し進めることはとても良いことだと個人的には思います。 しかしながら先ほど述べた資本力の差、リソースの差は否めません。 そうすると必然的に大量生産大量消費の市場で戦うことは好ましくないのだと考えられます。

資本の原理があまり大きく作用しない領域、それは必ずしも高級品という意味ではありません。 場合によっては高級品かもしれませんが重要なことは手間がかかるものだということです。 手間がかかるものにはどうしても資本の原理が効きにくいです。効率化もしやすいしにくいですし自動化もできません。 そのような領域での製造業は日本だけでなく多くのローカル企業にとって勝機があるのではないかと思います。

中国が「世界の工場」たり得た時代もこれで一区切りではないかと私は見ています。

分業が可能なものづくりというものは、作業が定式化でき、自動化や外部委託など多くの資本効率化の観点からのメリットがあります。しかしながらそれは「他の誰にでもできる」という意味に他なりません。 したがって自然な話として「世界の工場」は歴史的に変遷を続けてきました。そのような意味で、中国にいたずらにその流れを引き止めるモチベーションも高くはないだろうし、実質的に引き止める手段はないはずです。

日本のような国は、あくまで何かを中国から取り戻す必要はなく、新たな高付加価値なものを作る際に極力ローカル企業との協業のもとにそれを製造し、自社だけでなく協力企業も共にお互いに成長していくようなビジョンを意識するだけで十分です。