Q. 100万台売らない製品で凝ったことをしてはいけない?
開発は一筋縄ではいきません。
開発途中での仕様変更、問題解決の目処が一向に見えないまま期限が迫る、金型作り直し、特許使用料交渉の決裂、様々な課題が立ちはだかります。
ちなみに私は「工場が火事で部品燃える」という経験もあります。
さて、製品を出すことに対しては多くの関係者がコミットメントを持っています。 したがってちょっとやそっとの問題や課題で諦めるわけがありません。
しかし、実際冷静になると「ここまでやる必要あるのか?」というところまで追い込んでしまっていることが実はよくあります。 自分自身も身に覚えのある話です。
そこで自戒も含めて、どのように「ブレーキ」をかけるべきかについてここで整理します。
例えばまずはわかりやすいワンショットの出費から考えてみましょう。
金型の作り直し、基板の作り直し、規格試験再申請の費用、部品変更に伴う先行手配分のロスなどがそれにあたります。 これらは単純にその損失を予定出荷台数で割れば、どのくらいのインパクトのある話になるかがわかります。
例えば金型の作り直しに100万円かかったとして、製品の予定出荷台数が1万台だとしたら、そこで原価が100円上がったことになります。実際は金型修正による時間のロスやそれによる機会損失、人月単価なども考慮する必要がありますが、ここでは簡略化のため省略します。
仮に金型の修正に至る問題が製品の表面部分の部品の一部にうっすら毛羽立ちが見えることだったとします。この修正に100万円を使うのは果たして妥当だったのでしょうか?
原価が100円上がるよりも出来上がった部品を磨いてしまった方が割安だったに違いありません。
他にも例えば無線の性能要求は国によって異なります。仮に日本の規格はOKで欧州の規格でNGになっている箇所があったとします。そこの修正に200万円かかるとしたらそれは妥当な判断なのでしょうか?
欧州で何台売れるかという販売予測に基づいて判断するのが正しい対応です。製品全体の原価次第ですが、利益率を圧迫してまで欧州で売る必要は果たしてあるのでしょうか。
このように販売台数で割って原価に足し込む形でそれぞれの修正作業や追加出費を取り扱っていくと、ふと不整合に気がついてしまうことはあるはずです。
「これ以上かけても得がない。むしろ損をする」と。
しかし私はそういうことをあまり考える必要がない製品の開発に関わっていたことがあります。
ひとつは100万台売る製品。もうひとつはフラッグシップのハイエンド製品です。
100万台売れる製品はかなりの売れ線と言って良いと思います。
安定的な製品であり派生のラインナップ展開もしますし、来年も再来年も売上への貢献が期待できます。 したがって先程の論理で言う「販売台数で」の数字が極めて大きな数字を想定することができます。
つまり「ここで数百万ロスするかどうかよりもきちんと製品を出し切って今年の売り上げ、はたまた来年再来年の売り上げへと繋げることが極めて重要」と言えます。
実際この製品に関わっているときは必要に応じてガンガン海外出張に行きましたし、インドのベンチャーの担当部分で課題があるとなれば彼らを日本に呼んで、日印のプロジェクトチームに部屋をあてがって根を詰めて開発に取り組みました。
私が「初ロット全数リワーク」という大失態を犯したのもこのシリーズでしたが、結局のところそういうところでの問題はコストよりも、きちんとスケジュールを守って市場投入すること、それが何よりも最優先事項であるということは当時若輩者の私にもよく伝わってきました。
だって仮に1000万円ロスしたところで生涯の関連モデルの台数で割れば原価への影響は一台あたり数円ですからね。 ちなみにPlaystation2の初ロットは恐らく不要輻射でNGで、筐体内に電波吸収体や金属シートが貼りまくった状態で出荷されていたというのを見たことがあります。あれもリリース日程を死守することを何よりも優先した結果だったのだろうと想像に難くありません。
ハイエンドのフラッグシップ開発に関わっていたときは開発チームが大規模でした。
私が今まで関わった最も大所帯の開発だったと思います。
大所帯では大抵全体の支出のうち人件費が非常に大きな割合を占めます。
国税庁によると日本における正規社員の平均給与は約500万円というデータがあるのでそれを採用して、仮に100人規模のチームを1年回したとします。 それだけで5億円です。
しかし人件費は給与だけではありません、各種手当や福利厚生、さらには開発職ではない間接部門の経費、また彼らが作業作業するためのスペースやそれに伴う設備補修など、実は人が増えると背後に様々な費用がかかっています。 そこで経験則として概ね3倍で考えるとだいたい合うというのが世の通例です。つまり15億円です。
ハイエンドのフラッグシップというのは一般にそれほど台数が売れるものではありません。その代わりに長い年数続けて売れるものですので例えば5年かけてトータルで5万台売れるとします。
5万台で15億円を割算するとなんと一台あたり3万円です。 驚きの数値ですが、ここでヒステリックにならず冷静に考える必要があります。
「この製品を果たしていくらで売るのか?」です。
ひとくちにハイエンドと言ってもカテゴリー次第で値段の相場が全く異なります。
私が精通している電子機器の範囲で、ハイエンドの価格が全体の相場から大きく乖離することが多いのが、医療機器の領域とオーディオなどの嗜好品の領域です。医療機器はまたその種類次第で様々ですしコスト構造も若干複雑なので、ここではわかりやすいオーディオの方で考えます。
例えばCDプレイヤーなど、この時代にもはや誰も使っていないだろうと思うかも知れませんがマニアの領域では未だに使われています。そして値段は100万円を超えるようなものもザラです。
スピーカーも含めたオーディオシステム全体では1000万円を超えるようなシアターシステムも決して珍しくはありません。 ここで先程の3万円に立ち戻ると、細かい計算抜きで「大した話ではないな」と思えるはずです。 つまりここでは如何にこだわり抜いて顧客を満足させるものを作り上げるか。そのために何人かけようと、いくらかけようと構わないのです(というと少々大袈裟ですが)。
二つの極端な事例を見ましたが、両者の話もおよそ例外的で、一般にほとんどの製品開発は「ここまでかけてやるべきことなのか?」という問いを頻繁に投げ掛けなければならないように思います。
性能を上げようと思えばキリがありません。
ユーザーやステークホルダーからの要望にできる限り応えていきたいと思う気持ちは至極真っ当なものです。
小さなバグとはいえそれが残ったまま出荷することに憤りを覚えるのももっともな話です。
しかし製品の開発および販売をビジネスとしてやっている以上は、折り合いを付けなければならない点が明確にあります。
もしそれを超えて更なる性能や品質を追求したければ
「じゃあ100万台売れるんだな」「じゃあ100万円で売れるんだな」
という問いかけに対してきちんと理にかなった回答を用意する必要があるのです。
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