「バーバパパのプレゼント」は深い。それか我々が浅過ぎる

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1982年の子供向け絵本「バーバパパのプレゼント」の内容が非常に深い。
というか既に40年前からの一般的な指摘の目の前を、未だに我々は浅はかにもフラフラし続けているというだけなのかも知れない。

以下詳述しよう。

本の内容を簡潔に言うと以下のとおり。
バーバの家にサンタがプレゼントを持ってきた。
バーバピカリのプレゼントはアフリカの動物たち。
しかしバーバたちの家は寒いところにある。
毛布や防寒具では動物たちは凍えてしまって、発明が得意なバーバピカリは発電の仕組みと暖房を作る。
最初は水力発電に取り組むが寒過ぎて川が凍ってしまう。
次に風力発電に取り組むが風が吹かない日が続いて困ってしまう。太陽光も同じ。
とうとう人力に切り替えてみんなで漕ぎ続ける。みんな疲れ果てる。
「そうか、漕ぎ続ければ暑くなるんだから、動物たちに自分で漕がせればいい!」 というところまで来て、バーバパパに諭される。
アフリカに返してあげよう、と。
無事動物たちをアフリカの自然に返し、最後はサンタが改めて 寒いところでも住める動物たちをプレゼントしてくれてめでたしめでたし。

バーバの家は基本的にエコで自然破壊と化石燃料の使用を嫌がるという文脈は他の作品でも多く見られる。
生物多様性の保全のために動物たちを連れて地球外に逃げたり、環境破壊する営利企業と戦ったりする。
今回の話は「それはつまり自然と上手に共存するということが大事であって自然を改変することはないんだよ」という教訓が示されている。

現代に視点を移すと、今しきりに再生可能エネルギーを推す勢力が強い。
エネルギーの多様性を推し進める視点は持続性の確保の意味で間違いなく意味があるし、エンジニアとしてもとても興味深いし評価に値するように思うが、それでも「善」「悪」をハッキリと決めることによる「押し付け」が極めて強いように思う。

化石燃料の大量消費を抑えなければいけない。そのとおり。限りある資源だから。
CO2の排出量をコントロールすべき。そのとおり。CO2にはいくつかの側面があるから。例えば温室効果をもたらすこともあれば、食糧収穫量を上げることもある。
地球温暖化は起こっている。気をつけるべき。そのとおり。しかし寒冷化も温暖化も自然の作用(例えば太陽の黒点の増減周期や大気中エアロゾルの状態など数百年、数万年周期で変動する作用)に比べて人為的な作用が支配的であるというのはいくつかの切り取った状況証拠からの暴論のように思える。 ちなみに宇宙線によるエアロゾル変動とそれに伴う放射強制力への影響というのは元々推定されていたより小さかったというのIPCCのAR5での報告にあったらしい。根拠資料を読んだけど残念ながらプロではないので私にはよくわからなかったが、どうやら「賛否がある」のが現状のように見える。

とはいえ、人間が人間にできることをやろうという姿勢には賛成だ。

このくらいのトーンが至ってフェアな視点のように私は思う。
しかし世の中には ・CO2排出をゼロにすれば温暖化は止まる ・化石燃料の使用はゼロにすべき ・再生可能エネルギーに全て切り替えるべき という無邪気で極端な見解を「全世界合意の正解」だと信じている人が多いのではないだろうか。

もうちょっと冷静に考えてみて欲しい。

近年温暖化が叫ばれるが温度だけで言うと1960年ごろは寒かったし、中世は今よりずっと暑かったことがわかっている。縄文時代も然り。しかしそれらの時代に人類の危機と言えるほどの何かが温度起因で起こったというのは思い当たるところがない。そもそも温暖になると人間の死亡率は下がる。また温暖な気候だと作物がよく採れるからそれが定住農耕への移行に一役買ったのでは、というのもあるらしい。
海面上昇も然りだ。人間の都合だけで考えると東京が沈没したら困るけど。江戸時代の頃は江東区、台東区、中央区あたりまで海に沈んでた。
シロクマはここ数十年増え続けていると予測される(正確なヘッドカウントはできないのでいくつかのSubpopulationから推定するのがやりかたらしいけど、なぜか今は公式的にはUnknownになってる。でも「レポートには26000頭と推定される」と明確に書いてあるのに。そこら辺は不明)
https://polarbearscience.com/2015/11/18/iucn-red-list-says-global-polar-bear-population-is-22000-31000-26000/
エゾジカは物的・人的被害があり、むしろ害獣と指定されやしないだろうか。

温室効果ガスのトップは水蒸気なのだけど、雲の自然発生のメカニズムはまだまだ十分に解明されておらず、数々のシミュレーションもまだ事実を正確に表現することができていない。したがって議論と研究とそれに伴う実証がまだまだ必要な状況だ。
フェアに考えると、自然には不確実性が高く、人間が不遜にコントロールできる気分になっていてもそれが如何に困難かというのがイメージできてくるのではないだろうか。 それがまさに「バーバパパのプレゼント」で伝えられていたメッセージのように思えて仕方がない。
最初は「それはいい案だ!」と思うのだけどやってみると問題点や副作用が見つかって頓挫する。そして徐々に本末転倒に向かう。

猛暑が嫌だったら、風力発電所を立ててクーラーをぶん回して冷媒の廃棄物をたんまり出して処理に困る前にとっとと田舎へ引っ越せば良い。
人為的温暖化の中で最も凶悪なものがヒートアイランド現象だ。ぜひ緑と土の多い田舎へどうぞ。
降雨量は世界全体で見たら増えているかもしれないが、それぞれの地域で見たら減ったり増えたりしている。雨が嫌いなら減っている地域に住めば良い。ちなみにIPCCの示したデータによると日本は減っている部類だ。
化石燃料の消費が気になるのだったら、エコバッグ(質の良い石油をたっぷり使って作られたもの)を持ち歩くのもいいけど、最近流行ってきたスーパーの家庭への配送サービスを活用するのはどうだろうか。個人がわさわさスーパーに訪れるより、まとめて配送してもらう方がエコな上に経済も回る。

気候変動については、むかーし「地震・雷・火事・親父」と言われたように自然災害は古くから恐怖の対象であると同時に「容易にどうにかなるものではないもの」の象徴だった。
最近では気候工学(ジオエンジニアリング)に注目する人々もいるが(当然エンジニアとしては私も興味があるが)、基本的には自然はコントロールできないものだと理解するべきではないだろうか。 つまりやるべきことは「地震が起きる想定」「雷が落ちる想定」「火事が起きることもある」「津波が起きることもある」として自然を畏怖した上で然るべき備えをすることではないだろうか(海岸っぺりに原子力発電所を作るような愚かな行為を今後しないよう深く猛省する、ということ)
「河川氾濫に備えた堤防強化の予算が削減されて再生可能エネルギーの開発に回されている」という主張が正しいかどうか私は正確な情報ソースを持たないが、もし事実ならあまりにも愚かな考えだ。何事もバランスが大事。

とはいえ上記と真逆の「自然は人間の従属物なので制御すべし」というような考え方は、19世紀頃にフランシス・ベーコンに始まり、ジョン・デューイなどが提唱したポストモダニズムに端を発する。その後のルソーやマルクスなども基本的にはそれに合意して、自然を凌駕する方法の代表であるバイオテクノロジーの是非の議論などでも彼らの思想の一部が引用される。

でも「バーバパパの方がずっと賢いな」と私は思ってしまう。

例えば気候工学に、空中散布によってエアロゾルをコントロールしアルベド値を適正に保つことで太陽光を適度に遮断して地球を冷やそう、というものがある。結局のところ理論的には可能だが、その散布自体が後世に及ぼす影響が十分にはわかっていないため仮に実行に移す場合はそこに倫理的であったりガバナンスの問題が発生する。
めんどい。
何故そんな変化球を狙うのか(エンジニアとしては面白いけどね)

しかし同じようなことがCO2削減にも言える。
CO2を削減することで我々に快適な未来が来ることを保証する研究結果は実は何もない。
あるのは、どうやらCO2は数ある温室効果ガスの中のひとつとしてリストアップされるという事実と、CO2の増加と温暖化はここ150年で見ればどうやら相関性がありそうだ。という話だけだ。
CO2排出量がゼロになって温暖化は実は止まらない。
これはIPCCの報告書にある各シナリオの最小値を取っても2100年の気温は今より上がるとなっていることから読み取れる。 大きな設備投資は費用だけでなく廃棄や再利用の問題を生む、とみんな経験から知っている。 設備投資への舵きりは慎重にやらなければいけないのだ。
しかし「最終的に温暖化は止まらない」と報告されている対策内容それ一本で本当に行けると信じてるの?と思う。

何故「それさえやれば大丈夫」みたいな雰囲気を作ってしまうのか。 何故フェアな認識が浸透しないのか。
何故、誰も「アフリカに返そう」と言わないのか。

いま在る物を大事にしよう、という試みと、自然を調伏しよう、という試みとには大分大きな隔たりがある。 またそこは突き詰めると、人間の自然な欲求と不自然な欲求の境目を明確にする必要がある。
例えば「来たるべき食糧危機に備えるなら子供は増やすべきではない」と考えるか、「いやいや家族が増えると嬉しいのは人間の根源的喜びのひとつだからそれを制限するのは不自然だ」と考えるか(ちなみに私は四児の父)この手の議論で常に言われるのがノスタルジックな話をしても仕方がないということ。「昔はよかったなぁ〜」と言ったところで世界はもう変わってしまっている。いたずらに節制的な生活を強いたところで人間がそんなことができないということはとっくの昔からわかっているわけで、またそこに「善」「悪」の線を引く試みは不毛である。

バーバの知恵は我々に勝る。

きっと我々はこれから色々な「不自然」にチャレンジして、都度一個一個反省して積み重ねていくのだろう。 したがって注意すべきは不自然を行わないことではなく反省を忘れないことだろう。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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