Q. 日本人の技術力が高いというのは本当か?

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実感として本当だと思います。

ただし、その分布が特徴的であるという点に注意が必要です。

例えば仮にエンジニアのスキルのバラツキがほぼ正規分布だとして、平均値が高く分散が低いのが日本人の特徴です。簡単に言うと「みんなボチボチできるけどぶっ飛んだやつは非常に少ない」という言い方ができます。

逆にシリコンバレーの住人たちで言うと、平均値はそんな驚くほど高くはないが分散が極めて大きい、という特徴が見て取れます。「ぶっちゃけ口先だけのやつも相当数紛れ込んでるんだけど、すげえやつは本当に凄くてしかもそれがいっぱいいる」ということです。

例えば元同僚のTには驚かされることが多かったです。

彼はニューヨーク大学のコンピュータサイエンスの出身で、キャリアの話を聞いても「誰もが知ってる大企業」はひとつもありません。

しかし本当に何でもできるエンジニアでした。ファームウェアの実装が彼のメインの仕事でしたが、彼の素養は広くハードウェアの技術もカバーし(しかも独学らしい)本来専門家であるべき私の知識を超えるハードウェアに関することをいくつも教えてくれました。何度か彼の家に遊びに行ったことがありますが、あるときガレージに忽然とバイクが置いてあって「これジャンク品なんだけどバラして直してみようと思う」と彼は言いました。当然彼はバイクについては素人です。しかも「まぁ乗り方も知らないんだけどね。笑」という、なんかよくわからないやつだな、と溜息しつつ、エンジニアとしての興味の広さと行動力に感心したものでした。

他にも何度か「こいつは凄い!」というエンジニアと出会うたびに、それと同じくらいの「こいつ、本当に酷いレベルだな(でもキラキラのキャリアで年収もきっと高い)」というエンジニアと出会うたびに、何故こういう構造が生み出されるんだろうなぁと常々に気になり続けていました。

それに私なりの肚落ち感を与えてくれたとある経験があります。

ボウリングです。

あるとき会社の同僚たちでボウリングに行きました。確かその時期サンフランシスコでちょっと流行っていたんですよね。

20人弱の参加者で日本人が3人、あとは国籍で言えばみんなバラバラだったように思います。

みんな尊敬すべきスペシャリストたちです。愛すべき同僚です。

でも……「マジかお前ら!!!」というレベルでことごとくヘタクソばかりでした。

ボールの持ち方が怪しい! 助走の仕方がおかしい! ボールを投げるというより落としてるだけ!

……まぁ一人だけ超絶上手かったPはマイボールを持ってきてましたけどね。

対する日本人メンバーたちは「いやぁ、ボウリングだなんて20年ぶりだなぁ」とか言いながらそれなりにボチボチこなします。

インド人のGは不参加でした。理由を聞いたら「運動はウォーキング以外やったことがない。ボールなんて投げたことがない」と言っていました(冗談? 冗談だよね?)。

これか!

と思いました。

アメリカでは体育や美術などの授業がありません。必須科目以外は課外活動あるいはボランティアのサポートによって成り立っています。

義務教育でみんなと学校に通うことも必須ではありません。ホームスクールというやつです。

それに対して日本では何事も「たしなみ」としてこなすことが自然と求められる社会構造になっています。微分積分までほとんどの文系の方もいやーな思いをしながら習います。例え赤点連発だったとしても日本史や世界史をエンジニアも学びます。運動会は全員参加だし修学旅行も大抵はみんなで同じ場所に行くものです。

時間は有限です。しかし日本では時間を「特化」よりも「汎用性能の強化」に向けていると言えます。

そうして結果的に冒頭の分布が出来上がります。

果たしてそれを誇って良いのか、と言われると微妙なところですが、これはこれで日本人の特徴と捉えてそれを上手く活かす方法を考えるのが好ましいのではないかと私は思います。

そのような特徴も助けてのことか、日本人はシリコンバレーでは好意的に受け入れられていたように感じます。

例えばアメリカではスーパーのレジで雑談をすることがあります。ドラマの中のワンシーンとかではなく割とよくある日常的な光景です。アメリカに渡った当初、私はパスポートを必ず持ち歩いていました。理由は、アルコールを買う時にかなり高確立で身分証明を求められるのですが当時まだ運転免許を持っていなかったからです。パスポートを出すと国籍がわかります。そこで「おー、日本人なんだ」と言われることがあります。何せ私はよく中国人に間違えられるので。

スターバックスなどコーヒー店ではカップに名前を書かれることがよくあります。注文の取り違いを防ぐためです。私はアメリカでは「KUZ」と名乗っていました。YUICHIRO KUZURYUのどこを切り取ってもローカルには発音しづらくて、一番マシな箇所を使った形です。そうすると「KAZ」と書かれることがよくありました。シリコンバレーにはかなり日本人が入っていて、「カズ〇〇」は日本人では一般的な名前ですしローカルでもKAZであれば発音しやすいため彼らにとっても非常に馴染みがある日本人名なのです。

サッカー好き店員で「KAZ MIURAを知ってるよ!」というようなケースもありましたが、いずれにせよここでも「おー、KAZ。日本人なのね」となります。

これらの際に引き続き高確率で言われるセリフが「へー。ってことはエンジニア?」です。

ビジネス的に日本人との付き合いが多い層は、当然シリコンバレーにいる日本人にも色々な職種がいることがわかっていますし、周りに純粋なビジネスマンや起業家の日本人の知り合いもいることでしょう。また学生時代に日本人留学生と触れ合えば、またそこでも認識の拡大は起こるでしょう。

しかしながらそれらを持っていない場合、多くのケースで日本人はエンジニアであり優秀で大人しくて礼儀正しいといういわゆるステレオタイプな認識がインプットされていることを他にも様々なシーンから感じました。

ある時、若いレジの男性にパスポートを提示した際に、彼が慣れていなかったのか私の年齢の確認の仕方がわからずモタモタしていたところに袋詰めのベテランの女性が「日本人でしょ。じゃあ大丈夫だよ」と言っていたのを思い出します。

微笑ましい認識の無知、ほのぼのする認識のルーズさです。

しかしながら、これらはキャリアに関わるシーンとなると状況が一変します。

日本人としての日本でのキャリアが諸外国で使えると思っている方は少々認識を改める必要があると思います。

これは日本人の技術力がどうこうというような話ではなく、多くのアメリカ人は、よっぽどの日本通でもない限り、日本で起きていることなど知らないし興味もない、ということです(MANGAは好きだけど)。

トヨタやソニーなどの大企業のことは知っています。しかしそれは日本人がジョンソンアンドジョンソンやシスコなどの大企業について知っているのと同じであって、そこにGAFAに対するような尊敬と畏怖が入り混じったような感情はありません。

大企業であれば仕事内容も多岐に渡りプロジェクトも大規模になります。そこでどのようなポジションでどのような貢献をしたかがわからなければ単に大企業にいたというだけでは、特に雇用の流動性が高いアメリカでは情報としてあまり意味を持ちません。

また学歴も日本の大学では東京大学くらいしか「ハイレベルな大学」として認識されません。一部のインテリ層や日本に幾分馴染みのある人間からは早稲田や慶応の名前が出てくることもありますが、せいぜいその程度です。

所詮ほとんどのアメリカ人にとっては日本など太平洋の向こうのよくわからない島国なのです(SUSHIは大好きだけど)。

私はシリコンバレー以外の場所に住んだことがありませんが、他の場所では恐らくもっと日本人の比率が下がります。したがって酷くなることはあっても、マシになることはないでしょう。

グローバルな感覚を持っている人からすると、「日本は割と世界的には憧れの国」という認識にあまり反論はないのではないかと思います。治安は良く、礼儀正しく、食事は美味しくて、教育水準もまぁ悪くない。勤勉で共同体意識と連帯感が強く、1970年代の脅威的な経済成長期を生み出した。

極東の小さな島国が得るリスペクトとしてはtoo muchなものすら感じます。

それに比べると日本人の自己評価が低いのは何故でしょうか。日本発の世界的な企業が近年あまり生まれていないことはそのひとつかも知れません。では、日本のスタートアップがグローバルに成功し衆目を集めれば、また一段と日本へのリスペクトは増すことになるでしょうね。凄いことだ!それを成し遂げることが我々の世代の仕事です。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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