技術が無限に伸びていくという幻想に冷や水 〜ムーアの法則と感情AI〜

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先日妻が 「人の感情を読み取ってレコメンドするAIが今後発展して云々」 という記事を読んで「そら恐ろしい」とコメントしていた。
彼女は元看護師である。 医療は万能ではない。治せる患者もいれば治せない患者もいる。 必ず治るのに今が不安でたまらない方もいれば、検査の結果が出るまでに体調を崩してしまうような方もいる。 そんな状況で看護師は「人が何をして欲しいか」「今どういうことを考えているか」「どういう寄り添い方ができるか」を真剣に考え、アクションに変えなければならない非常に難しい職業だ。
何が彼・彼女が好きなもので、何がいま必要なものか

また以前会話した東北大学D1の若者。彼は超音波を利用したガン治療を研究しているが 「僕は病気を治すことが医者がやるべき最も大事なことだとは思えない」 と言っていた。ガン治療は取ったら終わりではない。そのあとのケア、本人だけでなく家族も含め、さらにもし既に手遅れの場合には緩和ケアでの対応など非常に奥が深い。
ニーズを分析してレコメンドする。 一見AIが得意そうな領域だ。

このような領域にAIが入ってくる可能性はあるのか? という議論が世には存在する。これからさらにヒートアップするだろう。
しかし、私はこのような領域はAIが入ってこれないと考えている。 以下に理由を書こう。 「AI反対!」とか「人間に代わる強いAIは不要だ!」とかそういう感情論ではなく、 これは至ってロジカルな話なのだ。(別件では実務的にAI使いまくりだもの)

一方、遠いようで近い話として表題に書いた「ムーアの法則」というものがある。 知らない人はWikipediaでも見てみて欲しい。 要するにCPUの処理性能が18ヶ月で2倍という加速度的に進歩していくという予測だ。

2005年ごろだと思ったがとある超有名人が「ムーアの法則に否定か肯定か?」というのをTwitter上で意見を募ったことがあった。私は否定した。理由は単純でシリコンには物理的制限があるから際限なくプロセスが微細化することはないからだ。 事実、時代はマルチコアプロセッシングへと進んだ。要するに単体のコアであくまで直線的に処理速度を上げることを諦めて、並列処理を高効率化することで総合的な処理速度を上げていく、という発想に時代は向かっている。端的に言えばやはりムーアの法則は間違っていたわけだ(そりゃそうだ。そもそもムーアも自分が言ったことがこんなに長く語られると思ってなかったんじゃないかな)

余談だが、以前イスラエルでIntelでマルチコアを最初に開発したチームの人から話を聞いた。当時もムーアの法則を信じる人がまだまだ多く、マルチコアのアイディア自体がサンタクララのヘッドクオーターからはボツをくらっていたらしい。それをこっそりイスラエルで作ってしまったというのだからなかなか芯が強くかつ野蛮な人たち(褒め言葉)だなぁと感心した。

技術が無限に伸びていくような考えは幻想である。

その裏では技術的な制限をエンジニアが発想の転換で解決していたり、表面的には同じでも裏では全く別のソリューションにすげ替えることでキャズムを超えていたりする。そこには多くのエンジニアたちの葛藤と挑戦と失望が死屍累々積み上がっているものだ。

さて、そこまでするモチベーションが発生すること、というのはすなわち経済的合理性が見出せるものである。 言い換えると、商売になったり誰かの助けになってそこからマネタイズが可能なものだ。
ここに「感情を読み取ってレコメンドするAIは発展しない」と思う私なりの根拠がある。

まずここにはいくつかの技術的ハードルがある。 ひとつはバイタルセンンシングの一般化だ。 例えば感情をリアルタイムに読み取る方法としていくつか考えられるのが ・カメラ(表情) ・心拍、脈拍 ・体温 ・音声(声色) ざっくりこんなところだろうか。 言うまでもないがこれらはネットに転がっているデータではない。現場で取る必要がある。つまり何かしらの機器の開発が必要だと言うことだ。ちなみにこれまでのレコメンド系AIはその大体がインターネット上での行動データ(膨大)に基づくもので、このような現場で取得するバイタル情報はぶっちゃけデータベースとして極めて貧弱だ。ネット完結の世界でできていたことと同じことがすぐにできると思ったら大間違いだ。

さて、なんとか機器開発したとしてそれをユーザーに装着してもらうなり現場に設置するなりする必要がある。つまりは「これこれこういうメリットがあるので付けて下さい(置かせて下さい)」と誰かしらを説得するわけだ。
ちなみにインターネットでは情報収拾の際にCookieの情報を取得の許可を得るプロンプトであったり利用規約であったり、多くのユーザーが秒でスルーしているものにたんまりルールが書かれている。要するに我々の行動データはすでに至る所で抜かれまくりなのだ。(20年以上前から)

さて、なんとか誰かしらを説得できたとしてデータ取得の開始だ。データがなければAIの精度は上がらない。そして、生体データを何度も扱ったことがあるから個人的に感覚として持っているが、
生体は個人差が大きくてマジで大変。それに尽きる。
安定した結果が得られるようになるまでの時間、被験者数、アルゴリズムの工夫、つまりは投資。 これを覚悟しなければなかなか生体データを扱ったAIなど作れない。これはAIそのものの技術の話ではなく、スパコンの処理速度などの話でもなく、至ってフィジカルで、メカニカルで、多くの労苦とトライアンドエラーを要する荘厳なるサーガだ。

でも良いではないか。
人間、目的のためならがんばれる。 成長欲求というのは人間の自己実現を握るレバーのひとつだ。 目の前の課題をクリアして、その頂きを踏みしめることに儚き人生を投じる人はたくさんいる。今後もたくさん出てくる。

さて、では頂きの再確認。
「感情を読み取ってレコメンドするAI」
おっと、単にAIだけでは価値が無いから、何かしらサービスと関連づけて考える必要があるな。
さて、
「その日の気分に合わせて音楽を流してくれる配信サービス」
「あなたが落ち込んでいるときに慰めてくれるロボット」

うーん。
そんなに欲しいか?少なくともゲームチェンジするだけの何かがここにあるようには到底思えない。

つまり感情AIは「技術がなんとなく伸びていくんじゃないか幻想」のひとつでしかない。
戯れで研究するひとはいるだろう。 しかしそこへの投資額は「本気になった大企業」の投資額の恐らく100分の1にも満たない。
AIがここまで着目されるようになったキーは「画像認識技術」の大幅な進展だったように思う。 画像認識はすこぶる有用だ。今や実務的に至るところで利用されている。今更アレコレ説明は不要だろう。 それはGoogleに始まり企業だけでなく大学、研究機関、ビジネスチャンスを感じたスタートアップ、強い興味を持った個人、いずれにせよ「本気になった〇〇」が非常に多くいたからだ。
感情認識にそこまでのチャンスは見えてきていない。「あったら面白そう」というくらいだ。それも遥か昔からその状況に変わりがない。 経済合理性と成長性の欠如からはその技術領域が恐らく全く伸びないだろう、という予測が容赦無く導かれる。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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