「直感のみで言いたい放題」のハナシ

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a woman with an idea facial expression

# これは過去の投稿の復刻版=backNumberです
先日こちらにいる知り合いの方が
『複数の、しかも質や種類の大きく異なる議論が絡み合っている状況で、直感のみで言いたい放題いう』
という状況が嘆かわしいというか、欧米化の道筋というか
という趣旨のことをつぶやいていてちょっと考えてしまった。
『言いたい放題の文化』というキーワードから思ったことを書きたい。
『アメリカ人はディスカッション上手』
と日本人は認識していると思うが、私はそこは『確かにそうだが、本質的には全く違う』と言いたい。
彼らは主にディスカッションが上手いのではなくて
『話を自分の望む結論に導いたり』『話の論点をズラして自分に都合の良い話だけをする』のが巧いのだ。
基本的にはね。
当然フェアな人間もたくさんいる。
こっちの話を聞いてくれて、ちゃんと課題を抽出して、対案を出したり、それぞれの案の評価をしたりして、そして最終的には全員が納得いくような正しい結論をきちんと理由立てて導く。
しかしこういう人は世間的な認識で言う『ディスカッション上手』ではなく
単に『頭の良い人』だ。
私はできれば後者のひとのみと付き合って生きていきたいが残念ながら前者の人間の方が多いし、アメリカでは前者で生きていくのが正しいような風潮がある。と言わざるを得ない。
言うなれば『頭の良さ』は基礎体力と健全な肉体。
『ディスカッション強さ』は鋭利なナイフのようなものだ。
両方持っていればどんなサバイバルな状況でも生きていけるので当然ベストだがナイフしか持っていない人が多いのが現状だ。
これ自体は別にアメリカに限った話ではないかもしれない。
若い頃に鍛え抜いた身体と銘刀を手に、気づいたら身体は衰え刀が適切に扱えなくなり、ことがあるごとにひとを傷つけてばかりの大人は日本にもいると思う。
しかしアメリカの社会はそれで成立していて、しかも多くの部分で立派な発展を遂げている。
何故だろうか?というのは渡米当初からの私の大きな関心ごとのひとつだった。
例えば、
技術的な議論において、全員が自信満々でまるでその道のプロフェッショナルのような口を利くが、実際はその大半がほぼ素人で多少かいつまんだ情報と単なる直感から言いたい放題言っているだけ
という日本人が青ざめるような状況が、マジでよくある。
で一体どうやって議論が落とし込まれるのかというのは渡米初期からの私のひとつの関心だったが、
みんな言いたい放題
→ 残念ながら声が大きいやつもしくは根回しが巧いやつが勝つ
→ 何かトラブルが発生する
→ そいつに跳ね返るが解決能力が無い
→ 信頼を無くして誰もそいつの言うことを聞かなくなる
→ 組織からはじき出される
という自浄作用が存在することが最近なんとなく見えてきた。
「厳しい評価」と「ダメなやつを平気で排斥する文化」があることで成立してるんだなぁと。
つまりはリスクテイキングだと。
それをコントロールするのが上手いやつが生き残って下手なやつはどこかでコケる。
叩くこと、排斥すること、無視すること、、、
これらが正当な行為として日本に根付くのはそう簡単ではないだろう。
仮にこの自浄作用が働かないとすると、
みんな言いたい放題
→ 残念ながら声が大きいやつもしくは根回しが巧いやつが勝つ
→ 何かトラブルが発生する
→ そいつに跳ね返るべきのところが状況に応じてうやむやになる
→ そいつは責任も取らされずに結局同じことを繰り返し続ける
→ 声がでかいだけのやつが何となく中心の偉い人みたいな感じになる
→ 出世し、表ではイエスマンたちに囲まれ裏では陰口を叩かれる無能な上役の出来上がり
どこかで見たような世界の出来上がりだ。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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