「リベラリズムはなぜ失敗したのか」の意訳まとめ②「モラルの低下」

投稿者: | 10月 12, 2020

ここ数年のトレンドとして「資本主義の失敗」「民主制の崩壊」など多くの場所で言われるようになったと感じている。きちんと押さえたい。

いくつか書籍を漁ってみたがこの本がもっとも妥当で理性的に書いてあるように思えて気に入った。自分用の覚えメモとしてまとめておく。

リベラリズムはなぜ失敗したのか

著者はパトリック・J・デニーン(Patrick J. Deneen)
米国ノートルダム大学政治科学部教授。過去にプリンストン大学やジョージタウン大学でも教鞭を取る

内容も分厚く長文となるため何回かに分けることにする。

論旨

リベラリズム(あるいはリベラルデモクラシー)は中世の貴族制以降に生まれ、世界を飲み込んだ。19世紀にリベラリズムに否定的な流れがあり、様々な別の支配制度が模索された(共産主義もそのひとつ)しかしそれら全てにリベラリズムは勝利し、世界唯一の政治制度として覇権を握ったかに見えたが、やはりいくつかの歪みが近年続々と表出しており、改めてリベラリズムが揺らぐ時期が来ている。
主なポイントとしては「広がり続ける格差」「弱くなり続ける個人と強くなり続ける国家」「モラルの低下」そして、それらがリベラリズムが失敗したからもたらされた事態ではなく、むしろリベラリズムが成功したからこそそうなっている、つまり過去よりリベラリズムはそうなることが宿命づけられていたにも関わらず世界がそれを捨てるもしくは十分な代替案を立てることができずにここまできた、そして放っておいたらきっとそのまま続くだろうという極めて深刻な懸念がある。

ここでは「モラルの低下」というポイントに主眼を置いて整理する。

民主政の無理ゲーぷり

プラトン、ソクラテス「気高い嘘」
支配階級が下層市民を騙し、自分自身も騙されればそれが理想的な体制。リベラリズムはその実現だった

エドワード・パーセル・ジュニア(1973年)
第一次世界大戦中の兵員の知能指数の低さを指摘。民主主義の危うさを訴える。
市民の教養低下、公共心の希薄さはまさにリベラリズムの成功の証。そうやってできた馬鹿な民衆に自由だけ与えて政治はエリート主導に傾ける。官僚政治

アリストテレスは民主主義は「堕落」と表現していた。
近年のリベラリストエリートたちの中にもその主張に乗っかるひとがいる。有権者は情報不足で無知であり、要するにエリートが完全に管理する体制こそが理想的ではと。

政治的対立はエネルギー浪費のための戦略的エンタメ

例えば、革新的リベラリズムは、古典的リベラリズムを排除して、新たな国家が個人主義を理想的に進めるための国家からの干渉をデザインするが、モラルや生活習慣についてはあくまでノータッチを貫こうとする。

そろそろどちらも結局同じことをやっていると気づかないか?

対立構造を利用した浪費により、市民の視線が本質に向かないようにコントロールしている。
その代表格が「定期的な選挙による民衆のエネルギーの浪費」だ。
2大政党のどちらかを選ぶことに必死になって、それで全てが片付いた気分になれる。


リベラルデモクラシーと自然の宿命的対決

フランシス・ベーコン
人が自然を支配する考え方

ジョン・デューイ
未開人と文明人
未開人は自然に順応するだけ。文明人は克服する

ポストモダニズム
自然なんて大したことないわけで、その影響から我々は逃れられる。従って人種や生まれの差などに意味はない(一見良いこと言ってるようで論拠を間違えてる)敗北者が何かのせいにするのは不当であり所詮自業自得。つまり差別される人は全く身に覚えがないわけではない、と肯定される

19世紀
ルソー、マルクス、ジェームズ・ミル、リチャード・ローティ
人間の可塑性。人を改良するバイオテクノロジーの肯定

自然に打ち勝つために技術の進歩は必須であり、技術を進歩させるために利己心を解放するのが正解だと考えられた
結果技術の勝利のツケを払う時代が来ている。しかし未だに我々は科学が自然に最終的に勝利すると信じている


リベラリズムがもたらす孤独

スティーブン・マルシ
我々は好んで孤独になろうとしている。郊外への分離。張り出し玄関が消え、裏庭パティオが人気

スマホにより、読書、思索、瞑想の時間の確保が極めて難しくなった。繋げるはずの技術が孤立を生んでいる。自由とされたはずが、無力で自信がなく孤独を感じているのが実態

シェリー・タークル
ソーシャルメディア
つながってるのに孤独。共同体に必要な、物理的接近と責任の共有を損なう。絆の作り方すらわからなくなってしまう


教養という処方薬

UCの総長クラーク・カー(1963年)
大学の理念の消滅。研究成果を有益か否かでふるいにかける

一流大学は本来アンチカルチャーの最前線としての役割がある

本来大学が『やるべきだったこと』
叙事詩、悲劇喜劇の傑作、哲学者や神学者の思索、聖書などを学ぶこと
とにかく実用的な市場が求める人材を作るためのカリキュラム

「洗練」には修養が必要(ラテン語の語源より)

アリストテレス「政治学」
まず食と性行動を正しく行うことを風習として浸透させなければならない

文化という因習があるから人は責任を持って自然と接することができる

理論より慣習に重きを置いたアンチカルチャーもひとつの対抗措置

大学はリーマンショックや経済危機の責任を感じているか?
引き金を作ったのは一流大学を優秀な成績で卒業し一流企業に就職した、自分たちが『良かれ』と考えているテンプレを全うした教え子たちだ。

地方から素質のある人材を引っ張ってきて大学で加工して、さらに別の場所や国に輸出する。地方は弱くなり力を失う


リベラルアーツ

リベラルアーツ(一般教養)は本来最も自由民が様々な制約から解き放たれて取り組むべきことだった。それが今や軽視され、奴隷の学問。金を稼ぐことやそのための種々の手法について学んでばかりいる
自由を生み出すのは一般教養を身につけることによって徳性を育むという修行の末の話だと近代以前は考えられていた。
プラトン、アリストテレス、キリスト教、キケロ、ダンテ、みな多少の相違はあれど同じことを意図している
人間は生まれながらに自由ではない。思うがままに行動するのはむしろ隷属状態であり利己的で良心に逆らっている

アメリカ二代目の大統領の発言や、建国初期の公立大学の校訓などにはリベラルアーツに対する意識が多く読み取れた

人格の品質低下

過去への感謝と未来への義務が姿を消し、目の前の満足を追求するのが一般となる
「文化」は徳性を養う元になるどころか、快楽・下品・気晴らしと同義に落ち、消費・欲求・無関心を促進し自己最大化を目的とした有害な行動で溢れるようになる

過去を嫌悪することは、未来の人にとって現在や自分たちはクソだとゴミ箱に捨てる行為。でもリベラリストはそれをやる

トクヴィル「時間の分断」
遠い未来に向けて何かを積み上げることが困難になる。短期に多くのものを得ることは人間の本能に適合するので優先されやすい。
個人主義は自分が未来の人にとっての何なのかをわからなくさせる(鎖の分断)

ホッブズ「社会契約説」
伝統と文化が不当であるとして排除される。規範が消えて無秩序になる。

ニコラス・カー
インターネットに触れる時間が増えると、脳のシナプスの再結合が進んで堪え性がなくなる(画面がサクサク切り替わらないとイライラする)
言語機能、記憶、集中力の低下

人種差別に走るのはむしろ共同体ごとのある種健全な対立であったり共同体内での意見の食い違い(でも共同体内なのだからすり合わせをしなければならない)対立など向き合うべきものが存在しないから。わかりやすいのは肌の色や人種による対立のみとなりそちらに走る

民主制から心が離れるとき、政治は距離の遠い存在、腐敗の象徴と認識される。
これらストレスが反対運動に向けられているが、彼らは何か代替となる社会思想を持ち合わせているわけではなく、単なる怒りや憤りをぶつけているだけ。

これらはリベラリズムが守られなかったとかリベラリズムが不完全であったから病んでいるのではなく、リベラリズムに忠実であればあるほど病んでいくという完全に想定どおりの負のスパイラル。