アメリカでリモートワークが多い理由

最終更新日

turned on macbook pro on brown table

# この記事は過去の投稿=backNumberです
先日「なぜアメリカはリモートワークが多いんですかね?」と聞かれて
時間もなかったのであまり良い返答ができなかったなぁと反省し、ここにまとめなおしてみる。

しかし先に言っておくが、その場即答であまり面白い返答ができなかったように、時間をかけて書いても決して面白いことが書けたわけではない。
、、、なんてexcuse

さて、私が行ってきた場所がシリコンバレーだからというのは多少あるのかもしれないが、LAでスタートアップをやっている友人はメンバー全員リモートワークだと言っていたし、前前職でリモートだったメンバーはボストンやテキサス。
「一戸建てに住みたいんだ」と言って仕事自体は所属している会社も部署もそのままでリモートワークに切り替えてアリゾナに引っ越して行った友人もいた。
他にも「通勤時にあそこの橋が混むから週2でリモートワークにしてる」とか、このような事例は正直枚挙に暇がなくやはりリモートワークはアメリカ全土で一般化している印象を持った。

ちょっと前の話だが、YahooのCEOに元Google幹部のメリッサマイヤーが就任した際に以下のような試みをしたのでもわかるように、アメリカ、少なくともシリコンバレーはリモートワークへの偏重がもはやひと回りして見直される動きも出てくるフェーズまで来ているのかもしれない。

「6月以降は全社員出社を」ヤフーの社内通達が話題に
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2600T_W3A220C1FF1000/


とはいえ上記の行動も大きな論争を生んだようにアメリカでは未だにリモートワークは社会的に大きなメリットを生んでいる、と認識されている。

さて、ではその理由について、まずは教科書通りの回答から。

①国土が広い割に公共交通機関も含め交通網が貧弱
②アウトプット重視の裁量労働制なので就業スタイルの自由が保証されている

①は要するに通勤が不便であり「2時間かけて通勤させるくらいだったらその分家で働かせた方が生産性が良い」という極めて単純かつ合理的な発想。

②は勤務の仕方についての価値観の話だが、アメリカではとりあえず私はタイムカードというものを見たことがない。工場や店舗などの時間勤務の方々はおそらくそれに近しいことをやっているのだろうけど、仮にいわゆるR&Dや製品開発の人間たちに「タイムカード」というものを導入しようとしたとしたら、まず間違いなく
・モチベーションが下がる
・ごまかすやつが出る
・結局アウトプットの質が下がる
という連鎖反応が起きてすぐに廃止することになるだろう。
これは単純な話で「短期(時間勤務)にコミットしろと言うのならおれは中長期のアウトプットにはコミットしねぇぞ。だって勤務さえしてればいいんだろ?」という思考だからだ。
つまりcommitmentとoutputだけが意味のあるもので、それ以外に干渉してくるなんて会社だろうと個人だろうと許されることではない、と考えているのだ。これは雇用者と被雇用者を「契約関係」と捉えているからに他ならない。
日本でも例えば図面作成の仕事を外注さんに出したとして〆切が今週金曜、という状況でその担当者のひとのFacebookを見るとどうやら毎晩飲み歩いている、、、となったときにそれに対して何かしらアクションを取るのは正しいのか?正直日本でもそれは過干渉だと捉えられるだろう。アクションを取ったり詰問したりするのは金曜に図面が出てこなかったとき、もしくは仮に図面が出てきたとしてもその図面がクソだったとき、だ。
アメリカでは「会社と社員」という関係性においてもこれと当たらずとも遠からずの感覚が存在する。

アメリカでことさら感じたのは
「弱者、無能者、頭を使わないやつに生き残る権利は無い」
という根底にある共通理解だ。
実は非常に冷たい国である。医療費が払えずに風邪をこじらせて肺炎になって死ぬ人がいる先進国なんてアメリカくらいなんじゃないか?(某大国にはそれはそれで腐るほどいそうだけど触れないでおくw)
しかしこれのお陰で身につくのが「市場感覚」である。つまり自分の価値やその市場での評価に極めて敏感になる。お金にも敏感になるし、様々なベネフィットやディスカウントにも敏感になる。これがアメリカ経済が安定してる理由の一端を担っているようにも思う。シビアであるからこそ皆アンテナが高い。
さらに雇用の流動性の高さもこれを助けている。転職が容易だし、その裏返しでレイオフなんて日常茶飯事だ。
だから皆自分の価値を高めることにストイックだし、その分高給を取ることに積極的であり、
そしてその逆、低評価を受けたら没落するのは至って当り前なわけだ。それを受け入れて皆生活している。

さて、こんなところが模範解答だろう。


以下、あくまで日本人との比較ではあるが、
「ここがこうだからアメリカではリモートワークが成立するんだよねぇー」という肌で感じてきたアメリカ事情を一点挙げたい。

<あまり他人のことに関心が無い>

勘違いしないで欲しいが根本的にはアメリカ人はウェットな性質だ。
道端で普通に馴れ馴れしく話しかけられるし、コーヒー売り場で選んでいたら後ろからおばあちゃんがオススメを教えてくれたりする。
子供連れてベビーカー押してた日にはすれ違った10人にひとりは「oh, he’s so cute」なんて声をかけてくる。
妊婦や老人が重いものを持っていたら間違いなく手伝ってあげるし、うちの奥さんはスーパーで長蛇の列を作っているみんなから「ほらっ、一番前に行きなさい!」なんて言われたことがあるとか。

お節介で面倒見が良くてボランティア精神に溢れるのがアメリカ人の本来の気質だ。

しかしこと仕事の場になると、そこはスイッチが切り替わるように思う。

あくまで見かけ上は変わらない。フランクだし、手厚いし、コミュニケーション好きで、人懐っこい。
しかしそれを踏まえた上で、同僚はあくまで『チームメイト』なのだ。
それも明確な達成すべき目標と計画とアウトプットによってもたらされるベネフィットが存在する組織における運命共同体の一員としての位置づけだ。

さて、ちょっと話を別の角度にズラすが、果たしてきちんとターゲットを達成するために「一丸となれる組織」というのはどんな組織だろうか?

仲が良くて意思疎通がしっかり取れている組織?

いや、そうではない。
本当の意味で一丸となれる組織というのは『ミッションに対して皆が誠実な組織』だ。仲が良いとかコミュニケーションが円滑だとか飲み会の出席率が良いとか一切関係ない。

そこから来る発想が
「自らのミッションに忠実であれば隣の人間の振る舞いについてどうこう言う必要はない」
場合によって語尾は別の言葉かもしれない。
「どうこう言う暇はない」
「どうこう言うよりよっぽど自分の仕事の質を上げる努力をするべき」
「どうこう言うモチベーションなど無い」

これが良い意味での無関心の元なのだ。

だからリモートワークによくある欠点については以下の程度にしか考えない。

「コミュニケーションし辛い」
→ そんな言い訳通用しないのでとにかく自分のパフォーマンスが落ちないように、相手にも要求するし、自分自身もツールの活用やタスクの切り分けを含めて出来る限りの努力をする。というかそういう点はマネージメントからも見られているので至極真面目にがんばる。

「ディスカッションが減少する」
→ そもそもディスカッションなんて必要最低限に減らした方がパフォーマンスは出る。会議なども不要。

「相手がさぼっていてもよくわからない」
→ アウトプットさえ出てれば興味無し。

「チームの一体感が無い」
→ 表面的な一体感など不要。個々のパフォーマンスとアウトプットの質を極限まで上げた先のcrossing pointにこそ本来求める一体感がある。それで十分。

冒頭で「あまり面白い話にならない」と言ったのは、これらの感覚が旧来の日本的組織論とはかけ離れ過ぎていて荒唐無稽にすら映るからかもしれない。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

シェアする