未だによくわからないことがひとつある ー アメリカ式ハナシの進め方

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woman wearing teal dress sitting on chair talking to man

一応アメリカ企業で働いて1年半になる。
同僚も日本人、ドイツ人、トルコ人などはいるが大半はアメリカ人だ。

で、どーにも未だによくわからないことがひとつある。

それは『ハナシの進め方』だ。

仕事の進め方、と言っても良いかもしれない。

まず、全体的な傾向としてE-mailで仕事を的確に進めることについて
アメリカ人は『形式的なイマイチさ』を抱えている。
もしくは日本人などの『几帳面民族』は非常に優れたスキルを持っているのかもしれない。

良い例がインラインの使い方だ。

私はITリテラシの講師でもなんでもないただのサラリーマンだが、
ただのサラリーマンだからこそ、Emailにおける『形式』の大事さは身に染みている。

なんのことを言っているか、ちょっと例示してみよう。

たとえばAさんとBさんのやりとり。
以下は模範的な例。


<Aさんからのメール>
先日の件ですが、いくつか質問とお願いがあります。
まず価格の件ですが今週中にいただくことは可能でしょうか?
具体的にこちらからの情報が必要でしたらおっしゃってください。
なお先日提示した条件は以下の通りです。
・生産開始は来年の1月1日
・年間100万台の見込み
・日本での販売を前提にしているが、米国、欧州を順次検討する

また御社の提案にもいくつかバリエーションがおありとのことでしたので
候補を示していただけると助かります。
こちらで認識してしているのはAAA-0001と派生版のBBB-0009です。
これらの差異についても情報頂けると助かります。

それではよろしくお願い致します。


<Bさんの返信>
ご連絡ありがとうございます。
先日はわざわざご足労頂きありがとうございました。

> まず価格の件ですが今週中にいただくことは可能でしょうか?

了解しました。
そのとおり進めます。

つきましてはいくつか回答お願いします。

> ・生産開始は来年の1月1日

納入期限は従来通りの2ヶ月前でよろしいでしょうか?
オーダーをそのさらに2ヶ月前(9月1日)のタイミングでいただけると助かります。

> ・年間100万台の見込み

月産はどのくらいを見込んでいますか?

> こちらで認識してしているのはAAA-0001と派生版のBBB-0009です。
> これらの差異についても情報頂けると助かります。

BBB-0009の派生としてCCC-0007があります。
それぞれのデータシートのPDF、差異をまとめたExcelファイルを添付致します。
ご確認ください。

以上、よろしくお願い致します。


とまぁ、こんな感じだ。

ここで言いたいことは、このやりとり、
「トピックの打ち漏らしが無い」
ということだ。

しっかり引用(インライン)を使うことで質問や返信の取りこぼしのないようにしている。
これぞ日本人の几帳面さ、というものだろうか。

まず、この文化、アメリカ人には無い。

少なくともおれの付き合っている人間たちの間では皆無だ。

ちなみにインド人、台湾人はインラインを使うケースが多かった。
シンガポール人はあんまりだったかな。

不思議でたまらないのは
「インラインを使わないで大丈夫?」って誰も気にしないあたりだ。

例えば先ほどのAさんのメールに対してアメリカ人Cさんの返事を想定してみよう。


Hi A-san

先日はありがとう。我々は今週中に価格を出すように進めます。そのためにも月産台数を教えてください。我々の納入にはオーダーから2ヶ月がかかるので、普段通りで逆算して9月1日にはオーダーするようにして下さい。
CCC-0007とその他のデータシートと差異を添付しました。何か質問があったら遠慮なく連絡してください。

では良い週末を!
アメリカ人のC


てなとこだろう。

あえて、ここでは打ち漏らしを行っていない。
書いてあることもBさんと全く同じだ。

でも、なんか不安にならない?

いくつか特徴について解説しよう。

まず、改行無しでだーっとまくしたてるのでトピックが掴み辛い。
次に、実際に一個の文章で複数のトピックを平気で入れたりする。
で、加えてインラインを全然使わないので、
例えばちょっと時間が経ってからの返信だったりすると内容がわからなくなったりする。

以下、

私なりになぜこんな風になっているか分析してみた。

いや、分析の前に断っておくと、

アメリカはきっとずーーーっとこんな感じで回っている。

しかも世界トップクラスの産業国として。

つまり、この彼らの習性とも言える『やり取りの手法』を自体を否定すること
それ自体は簡単だろう。
「自分のやり方(経験)と合ってない。だから間違ってる」

いや、そうではない。

そんな態度は愚である。

結果が出ている以上、学ぶところはあるはずだし、
そのためにはこの背後に在るものを読まなければならいのだ。

というつもりで以下、書き進める。

 

なお大前提として言語的な要因は取り去られる。
インド人も英語だし、台湾人と私のやり取りも英語だからだ。
そういうハナシではない。

さて、

そうすると最初に安直に思いつくのは

話したがり屋の習性

が何かしらの一因を担っている可能性だ。

アメリカ人は総じて話したがり屋が多い。

それは『雄弁は金、沈黙は予選落ち』の文化だと別のポストでも書いた。
(リンクを入れる)

つまり例え繰り返しや引用だとしても「自分の言葉で言いたい」という根源的な欲求があることが容易に想像できる。
まぁこれは日本人でも話たがり屋の人間には同じ傾向が見られる。

これがなんの効能をもたらすかと言うと

『新たな発見』

ではないかと思う。

同じことでも一度租借して自分の言葉で紡ぐことで
新たな視点やダイレクションを見出すことができることもあるのではないだろうか?

つまりこの『言い直し』は送信者・受信者の両者にとって
多角的なものの見方を持つことを助けているかもしれない。

とかくアメリカでは意見のいさかいについて寛容である。

人によって意見が違うのは当たり前だし、だからといって安直に否定することはない。
他人を否定するヒマがあったら自分を肯定するのだ。

日本人にとっては一見「同じことじゃね?」と思うかもしれないが大違いだ。

重要なのは「他人の意見はそれはそれとして受け入れる」ということだ。

納得するわけでもないし、ましてや自分の考えを改めるようなこともない。
「それはそれ、これはこれ」だ。

それによって、場における唯一無二の完全な答えを追い求めて
「これも×、これも×、これも×、だから残った自分の案が◯」
というような論法に陥らない。

意見が違って当たり前、これも正解だし、あれもそれも正解なのだ。

だから極論すると
相手の質問の一部に答えないのは、
「私はそれを答えるべき重要な質問だと思っていない」という主張
にも変えられる。

そこで生じる摩擦や議論はウェルカムなのだ。

多少暴論かもしれないが

『何かを落とすことで何かを拾う』

等価交換

それはどこにおいても何においても原理原則足りうるものだ。

ここでは、

几帳面さを削ぎ落として、創造性と発展性を手に入れた

というところか。

 

さて、次の仮説にいってみよう。

弱肉強食の習性

先ほどあえてCさんの返事を『打ち漏らし無し』で書いたが、
頭の良い人だったら確かにずっと打ち漏らし無しで過ごすことも可能なのだろう。

つまりこの程度のことで打ち漏らしたりミスをするようなやつは脱落して当たり前。

改行無しでだーっと書くのだって頭の良い人間ならトピックを適確に拾えるはずだ。

そして、この弱肉強食は他の角度からも
キーワードとして導出することが可能だ。

それは

メール嫌い

さきほどの「しゃべりたがり」とはちょっと角度を変えたアプローチをしたい。

さて、

よくよく考えたら日本でもふつーの文章を書く時は
やたら改行はしないで、だーーーっと書いてしまう。

メールやブログでの書き方のスタイルって
結局のところ後天的に文化として構築されてきたものだ。

言い換えると日本人はメールが好きでたくさんメールを書いてきたから
読みやすい、理解しやすい、効率の良いメール文面は
そうやって培われてきた、というようにも考えられるのではないだろうか。

古くからの『ふみ』の文化?そんな大層なもんでもないか。

そう考えるとアメリカ人は明らかな『メール嫌い』だ。

どんなくだらないことでも話してくる。
こっちがけっこー取り込み中でも話しかけてくる。

覚えきれないくらい複雑な手続きの手順とかでも電話で連絡してくる。

ミーティングも会話で決めるだけで、デジタル化されたログは無いことが多い。

メールを使わないということは会話が増えることを意味する。
日本でもメールの多用によるコミュニケーションの低下は随分前から騒がれている。
具体的な対策が取られている会社もあるのではないだろうか。

しかし、

はっきり言ってこの傾向は日本人をイラッとさせることが多いだろう。
言葉はその場限りで消えてしまうがメールなら送受信の履歴がそのままログになるのだ。

ログ無しで仕事を進めることは多くの場合で
砂漠の真ん中で杖を外されるようなことになりかねない。

軽い例で、例えばとあるトラブル
「〇〇くん、××って買っといてくれた?今日必要なんだけど」
「へ?課長、僕頼まれてませんけど?」
「△△さんが〇〇くんに頼んだって言ってるんだけど」
メールのログを漁る
「えーと、先週の金曜に△△さんが自分が買うって返信してますよ。
そのあと僕は出張行ってたんで△△さんには会ってませんし電話もしてません」
「あら、ホントだね。失礼失礼」
というカンジでメールでやり取りをしておけば濡れ衣を着せられずに済む。

逆に口頭のみだったらきっと声が大きい方が勝つだろう。

「いや、最初から私が〇〇くんに言っといたんで。はっきり覚えてますよ。
前回の□□の納入のときも彼は発注忘れてましたよねぇ。困ったもんだ。
ま、いいですよ。課長、私が至急手配しておきますから」

とか陰で押し切られたら最悪だ。

最悪だ。

が、

それが可能な文化がアメリカにはある。

割ときっちりしてないのだ。

そして先ほど言った声が大きい方が勝つ文化
もはやアメリカの重要なアイデンティティと言っても差し支えないほど定着したものだ。

この弱肉強食

なかなかに嫌らしいものだが、やはり経済的一側面で見ると
回り回って大きな効果があるように思える。

積極性のある人間というのはどんどん発言をして
その分当たってたり間違ってたりして多くの経験を積んで、
どんどん職を変えて色々なプロジェクトに関わってスキルアップしていく。
そしてそのスキルを次々と世の中へ還元していく。
積極性は目立ちたがりとほぼ同義でもあるから。

『ただの目立ちたがり』と『ただのしゃべりたがり』は何も生まないが、
そこからきちんと確実なフィードバックを得ることができる人間は
『彼と同程度の能力を持った消極的な人間』
よりも明らかに大きく成長できるのだろう。

 

さて、最後の仮説は

スピード

だ。

改行無し、インライン無し、これらはスピードを向上させるためのものではないだろうか。

例えばプログラマーは必要に応じて改行を使いキチンとコードを整理する。
それは当たり前のことだがそこには『リテラシー』(ルール、常識)たるものが設定されている。

つまりルールさえあれば彼らもやるわけだ。

ただ、文章(メール)はルール無しだ。

そうすると文章を、だーーーと書いてしまうのが当然最も速い。

どこを引用するかメールを見直したり、それをコピペして、コメントを書いて、
また次の引用部分を探してコピペして、コメント書いて、、、

かったる過ぎるわっ!

ということかもしれない。

私の印象だが、アメリカ人は短気と呑気を内在させている。

シーンによって使い分けているのだ。

下みちの運転は呑気
フリーウェイの運転は短気

レジで品物買う時は呑気
自動券売機で買う時は短気

仕事は呑気
帰宅は短気

しゃべりだすまでは呑気
しゃべりだすと短気

同僚の誰かがメール書いてるところ凝視したことなんてないけど
きっとメールは短気なんだ。

さて、

ちょっと先ほどの前提に戻るが、
私はこの考察から何かしらアメリカ人の優位なところを磨き出したいと思っている。

そう考えると、、、

つまりこの短気と呑気の使い分けが良いのではないだろうか。

日本人は得てして整合性が取れている人種だから
「短気な人」か「呑気な人」にきっぱり分けられる。

つまり使い分けを行っていない。

これはストレスが溜まる。
何事にも短気なひとはとにかく溜め続けるだろうし、
何事にも呑気な、、、きっと周りの人のストレスが溜まっているだろう。

アメリカ人の絶妙な呑気さは色々なシーンで見受ける。

時間感覚のルーズさなんかは言うまでもない。
しかしこれって『文化』として定着してしまえば全体的なストレス低減におおいに役に立つ。
時間に厳密過ぎることは例えば遅刻しそうな/した本人だけでなく周囲のストレスも上げる。
「私は時間どおりに来てるのに〇〇さんはいっつも、、、」
元々『時間』という言葉が形骸化していればそんなことにヤキモキする必要がない。

例えばAppleだが、Appleと付き合いのある企業からはよく「約束を反古にする」と聞く。
これは文書になっているようなものではなく「口約束/予定」という類いのものだ。
日本人的にはそういうのはむしろ守らなければならないと固く誓うものだがAppleは違うらしい。
しかしこれは「良いものを作る」という明確なアウトプットのための
必要不可欠な泥でもあるらしい。

生産開始直後にお蔵入りになった製品とか、オーダー期限を過ぎても決まらない部品とか、
そんなことはザラだ。

いずれも「最終顧客」を向いた判断である、といえばカッコイイ。

契約期限寸前で「うーん、もうちょっと考えるわ」とか言われたら
日本人的感覚からしたら「おいおいそんな呑気なこと言ってて大丈夫かよ」って思うかもしれないが
そういう思考が案外最終的な成功を導いているのだとしたら
ある程度見習い、そして泥をかぶる覚悟をしてみるのも良いかもしれない。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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