意識低い系のススメ

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desperate evicted male entrepreneur standing near window

「意識高い系」
というと通常意味するのは、細かいことにいちいちこだわりを持って、ちょっとした小物や使い捨てに近いような道具にでもブランド物やオシャレアイテムを選択し、ハイソな雰囲気のカフェでランチを食べ、自己啓発と教養の向上さらには健康の増進なんかに非常に強い興味と意識の高さを持って自己投資し、かつ
それを全く隠そうとしないひと
むしろドヤってひけらかしてくるひと
のことではないかと思う。 そして恐らくここに自然に付帯するキャラクターとして 『自信満々で順風満帆』 とも言えるのではないかと思う。

私は特にスタートアップに属している人々にはぜひとも意識低い系でいて欲しいと思う。 それは別にブランド物を持つなとかランチはカップラーメンで十分だとか自己啓発するヒマがあればコードを書けとかそういう意味ではない。
私が触れたいのは主にメンタリティの部分についてであって、 それは、スタートアップに付きものである
つまずきに起因するお話だ。

さて、リーンスタートアップなどの概念でよく言われる『検証による学び』はアーリーのスタートアップに限らず『不確定な事象に挑戦する組織』にとっては必須というか、必然と言うか、洗礼的な通るべき関門だ。しかし、学びは往々にして痛みを伴う、挫折を伴う。そのとき意識高い系は思う
「こんなはずじゃなかったのに」
でも意識低い系は大丈夫。
「とりあえず今はこんなもんでしょ。うちはまだまだこれからだ!」
どちらの方が自分のこと、自分たちのことを信じていると言えるだろうか。 前者は単なる傲慢に近い。だって誰しもどこかで失敗はするものだし、失敗の確率は不確実な領域における野蛮な挑戦であれば当然高まる。誰もが知っていることだ。
それを「おれたちに限っては大丈夫」と考えるのはいかにもギャンブル狂の思考でしかない。 「これ以上下がるわけがない」「12レース中1レースも当たらないなんてあり得ない」「このイーワンは絶対誰かが切るに違いない」などなど。 不確実な事象に立ち向かう際にこの手の考え方は病、死に至る病だ。

失敗する。自分も。自分たちも。 無様な目に遭う。痛めつけられる。罵倒される。それが当たり前だ。
スタートアップ、仮に創業数年で数十億調達して社員が50人に膨れ上がってるような会社でも、所詮組織や経営は生後数歳のガキンチョ。どんなにスキルフルで経歴バッチリでイケてる洗練された人材を集めたとしても、細かく内部にツッコめば実態はグダグダの極みに違いない。 それを「おれたちイケてる」と勘違いしていると、穴に落ちた時に非常に傷つく。 つまり意識低い系のススメとはネガティブな思考で足を引っ張る行為でもないし、 要するに「自分、調子こくな」という自戒によって、転じて「きっちり積み上げるべきものを積み上げないと明日はない」と律する、半ばスタートアップのための、非常にスタートアップらしい掟なのだ。

ハングリー精神を上昇志向と自己低評価とともに持てば、実はそれが最も強い武器になる。
以前イスラエルに行く機会が与えられて現地で様々な方に会ってきた。 その中でも彼らに共通して言えたことは 「自己評価の低さ」と「イノベーションなら負けない」という自負。 自己評価というのは国としての自己評価だ。 彼らは本気で自国のことをヤバイと思っているようだった。誇りの有無とは違う。誇りは時に無根拠で積み上げでも何でもなく既に内在するものだったりする。しかしここで彼らがイスラエルという国をリスキーだと思っているのは単に客観的な洞察による結論だ。 彼らは国自体をヤバイと思っている。だからがんばる。がんばらなければ国なんて消えてなくなると思っているし、自分も死ぬと思っている。
パオロマルディーニの話でも書いたが
https://clazytech.com/2014/02/89/
常に負けたり負けそうになったりすることはとても良いことだ。その分の高みが見える。

まだまだ
ダメダメ
これから
これが正しいイノベーティブなメンタリティなのだ。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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