アメリカは皆よそ者
アメリカで生活していると残念ながら疎外感を感じることはいくつかある
まぁそれはしょうがないのだ。
おれよそ者だし。
しかも経験豊富な諸先輩の方々が語るにはカリフォルニアはひじょーに恵まれているという。
そもそも移民エリアなので古い付き合いがないし、入れ替わりも激しい。
人種も色々だし、むしろ白人の割合の方が少ないくらいだ。
それは良い
らっきーらっきー。
しかし、
まぁあるもんはあるのだ。
たまにだけどね。
さて、
その中でもひときわエグいのが、
罰則が非常に厳しいこと
駐車禁止で70ドル、スピード違反で300ドル、レッカーされると1000ドル、という調子だ
かくいうワタクシ、
先日罰金をくらった
カリフォルニア州ベイエリアを縦断しているCalTrainという電車があるのだが、
その電車、困ったことに改札が無い。
無賃乗車やりたい放題?いや、みなちゃんとチケットを買っているはず?
そんな馬鹿げた『性善説』で回る国ではない。
したがって電車の中でたまに係の人が回ってきてチケットをチェックする形なわけだ。
そして先日、私はうっかり定期を更新するのを忘れて乗ってしまった。
罰金400ドル。
電車賃は片道7ドル。
はぁ、
これは心が折れる
「もうクニに帰りたいズラ」とでも言いたくなる
罰金はCourt(裁判所)に払いに行くわけだけど、窓口でおばちゃんに
「ひどいよなぁ、おれアメリカ来たばっかなんだぜぇ〜」と恨み言を言ってみたら
「Welcome to Unite Status」と笑顔で返された。
なかなかウィットなおばちゃんだ。
まぁしかしこの罰金の高さには心の端っこでは
「オイオイ、おれを追い出そうとしてるのか?」
と非論理的なことを叫んだりもしたが、
窓口に並んでいるときに当たり前のことに気付く。
これは共通
皆同じように罰金をくらっているのだ
前の白人の長身男性はなにやら窓口で交渉しているし、(無駄だと思うけど)
その前のヒスパニックのおばちゃんは不機嫌にサラッと罰金を払って去っていった。
後ろの中華系っぽい女の子もおれと同じ裁判所から発行された紙を持っている。
同じ
共通なのだ。
はぁ、、
でも疎外感を感じる。
なぜだろう。
それは
その根底に流れる
「役に立たないやつは出てけ」
「迷惑なやつはいらん」
「国庫に貢献しろ、さもなくば去れ」
という
メッセージ
を受け取ってしまうからだ。
こういうトーンが文化として無意識化で染み渡っているのだ。
結局アメリカ人は皆よそ者なのだ
United Statesせいぜい200年の歴史。
最初からいた家族ですら5、6世代目というところだろう
そしてそんな人は少数派だろうから
やはり所詮大半の人が2、3世代目でしかない
つまりせいぜいみんな「よそ者の息子」「よそ者の孫」
結局は “United” = “共同体” でしかないのだ
で、そんなよそ者集団をきっちり管理するベンリな方法が厳罰のように思える
どちらが良いと考えるかはひとそれぞれ、意見は違うだろうが
ともあれ、
これがアメリカ流だ(ドーーンッ!)
さて、
対照的に
日本
日本の緩い雰囲気や自国民への優しさは深刻な島国根性とも言えるが
それで治安が乱れず、貧困に落ちず、なんとかやっているのだ
『システム』という観点で見ると実は大したものなのかもしれない
例えば、
ふと、
国家と会社という組織単位に基づく基本理念の差異に立ち返ってみる。
なぜ会社は存在するか?
役に立つ人間たちがチームを組み有機的なシナジーを生み出すためだ。
独りではできないこと、独りでは手にできない資金、
独りでは整わないアイディア、サポート、発展。
それらを構築するための共同体なわけだ。
だから役に立たない人間は給料が低くなるか、辞めさせられる。
それが摂理であり、基本理念の延長線上、だと言えるかもしれない。
じゃあ
なぜ、なんのために国家は存在するか?
って言われた時に、会社の場合と同じ条件、ということはないだろう。
会社に求めるものはアクティブな活力?それとも安定?
国家に求めるものは安定?それとも対外競争力?サポート?
国家を選ぶ時代、というのが来るのかどうか知らないが
少なくとも国家に求めるものが何なのか、そしてそこから期待する恩恵は何なのか、
そしてトレードオフとして捨てるものは何なのか?
くだらない反則切符一枚から、
ふと、
考えてみた。