Q.産官学の連携についてどのような視点を持っているか?

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私は経歴上何かしら国の機関に身を置いたことはありませんが、仕事の関係上で国の機関と深い関わりを持ったり、あるいは学術関係と深い連携を図る必要がある状況に置かれたことはあります。また現在は幸運なことにアカデミアの末席に籍を置くこともできています。

連携とはそもそもお互いの欠点を補完しあうことが最大のメリットだと言えます。 では産官学それぞれの得手不得手はどのようなものでしょうか。

最もわかりやすいのが「官」、つまり政府機関です。
政府は実質的に無尽蔵の資金を持っています。実運用上はインフレ率のコントルールの必要性であったり金利調整であったり様々な外部要因による制約を受けていますが、原理的には不換通貨を発行できる日本の資金源は大きな柔軟性を持っています。 例えば日本の2021年の一般会計歳出は100兆円を超えます。 近年の格差拡大によって世界上位数%の大富豪の保有資産が世界の富の半分以上を保有していると言われていますが、それでも桁がひとつ、あるいはふたつ違います。国の予算というのはそれほど大きなものです。 しかしながら官の弱みは目先の小規模な成果のために行動はできないという点です。大きな予算を持ち、国力を上げ国民を守るという使命がある以上、今年だけの成果や数名の利益のためだけに何かしらを判断することは極めて難しいと言わざるを得ません。 この思考を推し進めると、必然的に判断が遅くなります。それが官の弱みです。 以前INCJという政府系の「株式会社」から出資を受けていたことがあります。第1次安倍内閣の頃に経済産業省主導で作られた機関で、株式会社としての体を持っていましたが、多くの部分で政府からの干渉を受けていました。 しかしながら投資資金は莫大で、当時の日本の大手ベンチャーキャピタルの10倍以上はあり、さらに「国会できちんと審議すればこれを倍にすることも可能」と言われていました。実際にINCJはジャパンディスプレイに2000億円以上を出資するなど、ある意味民間ではできない「異質な」活動を行なっています。

次に「学」、アカデミアについて考えてみましょう。
アカデミアの強みはなんと言っても叡智です。 仕事上様々なカテゴリの教授、准教授クラスの方々とお付き合いがありますが、我々のような「ちょっとわかってるつもりの門外漢」からすると彼らの知識量にはいつもながら驚かされます。 また海外での動向について最もシームレスな姿勢を持っているのが研究者の方々だと私は思っています。英語で論文を読むことや海外の学会に行ったり世界中の研究者と連携することを若い頃から当たり前のように行なっていることが、あまり閉鎖的な意識に陥らず視野を広く持つ非常に良い効果を与えているのではないかと推察します。 しかしながらアカデミアはほとんどの場合で非常に大きな問題を抱えています。それは予算です。 私は基本的に軸足は常に事業会社ですので、何かしら新製品であったり新しいテーマに取り組む際の予算感覚は必然的に事業会社のそれにアジャストされています。誠に失礼ながら、それと比較すると研究者の方々が持っている予算は桁がひとつ、いや、場合によってはふたつもみっつも下です。 仮に極めて重要な課題で研究費が付きやすいものについては、大きな予算がつくことはあります。しかしそれは産業界での極めて大きな開発、例えばスマートフォンであったり新型のCPUであったり、そのような開発の予算と比べるとまた桁がひとつふたつ落ちる話になることがほとんどです。

最後に「産」、特にスタートアップについて考えてみましょう。
スタートアップは無いものばかりです。資金力は当然のことながら、人的リソース、コネクション、組織力。時に強みでなければならない専門知識ですら世界トップの水準からは大きく劣ることがままあります。 よくスタートアップが投資家に面談する際に「メンバーリスト」というようなものを出すことがあります。学歴バッチリ、キャリア完璧、まさに「勝てるチーム」です。私は個人的にはこのような安いアピールは非常に無意味だと思っています。が、結構効くんですよね。 実際のところスタートアップのような人の出入りが激しい組織において、仮に経歴に何か意味があるとしたらそれは共同創業者とCEOだけです。CTOやCFOやCOOで如何に強力な陣容を揃えてスタートしたとしても、別の項でも書きましたが優秀な人間を引き止めることは極めて困難です。不可能と言っても良い。 従って本当に何もない。あるのは推進力だけです。

官が抱える誤謬 我々がビジョンを持っているので全体を導くべきだ 実行性が無いビジョンを立てる人は世の中では夢想家あるいは詐欺師と呼ばれます。
学が抱える誤謬 多くのことを知っていて挑戦する意味があることと無いことを判断している 科学は常に反証を伴って発展してきました。1960年代には盛んに寒冷化が叫ばれていましたが、その後の研究で今は温暖化が騒がれています。私は再び寒冷化の理屈が整うことはそれなりの確率であり得ると個人的には考えています。 ニュートン力学では説明できない現象を発見し、それを解明しようと試みることで量子論、相対性理論などが発展しました。全てを解明したつもりでまだまだわからないことがある。そう考え続けるスタンスこそが学問です。

つまり上記は「答えを知っているという誤謬」と言うことができます。
これは典型的な過信、増長、不謙遜に他なりません。
これらをまずきちんと捨てることが産官学の連携の肝ではないかと私は考えます。

多くの事業領域において正しい答えなどという都合の良いものはありません。足し算と掛け算の関係ですら疑わなければなならないのがこの世界というものです。10年20年単位で正しく見えても100年単位で見たら正しいことではないかも知れません。 しかしそんなことを考えていたら動けなくなってしまいます。何もできなくなってしまいます。

さて、話が終着点へ向かいます。

確信がなくとも何かをすることができる組織。それがスタートアップであり産業界の最大の利点なのです。 良くも悪くも産の世界には失敗が溢れています。失敗から何かを学び、それでも失敗で社会全体としては甚大な損失を回避し、そうやって回していく生態系が出来上がっています。

経営者の「勝算」「勝ち筋」などほとんどが後付けです。 それがわかっているので皆「成功から学ぶことはない」と知っています。むしろ学ぶべきは失敗からだという考え方はここにも繋がります。多くの発明は偶然から始まります。ジョブズとウォズニアックの出会いも偶然です。計算からでは何も起こすことはできません。

つまり「不正解を行わせる代行」として官と学は産を利用すれば良いのです。ただし、思い通りには動かないですけどね。 したがって、図式としては、勝手に自分たちが思い込んだイノベーションへと突き進むスタートアップを、「ひょっとしたらそういうチャレンジも何かを生むかもね」と感じたアカデミアが支援し、政府機関はその道のりを邪魔しないように規制を取り払ったり奇跡的に成果が出たところからきちんと社会に還元されるように支援する面の皮で監視していれば良いのです。

政府主導でのイノベーションが大きな意味を持っていた時代はありました。
ケネディ大統領時代のアメリカのムーンショット(アポロ計画)などはまさにそれの極みと言えると思います。その過程で多くの新技術が生まれ、最終的には庶民の生活にも行き渡る様々な豊かさの源泉となりました。 しかしながらこのスキーム自体は過去から、とてもむかーしから、変わらず使い古されたものでしかありません。 そう、戦争です。 国家主導で他国との競争を行うことはナショナリズムを強めます。現にアポロ計画の推進には、当時陰りを見せていたアメリカの誇りを取り戻すため、という明確な意図がありました。

我々はすでにそのような古いスキームに頼る必要はないように思います。大きな理由は情報の非対称性が年々加速度的に弱まっていることです。今では小学生でもネットを利用して国連のお偉いさんが言っていることが正しいのかどうか検証ができます。国プロ(国家主導プロジェクト)が一部の大企業ばかりに独占されることもじきになくなることでしょう。

産が突っ走り、学がフォローし、官は後始末とつじつま合わせをする。そんな産官学の連携が既にそこかしこで始まっています。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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