香川真司は何に消されたのか 〜戦術文脈での構造的分析〜

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7月29日、セレッソ大阪がドルトムントと親善試合をした。

試合前、ドルトムントは香川真司にトロフィーを贈った。プロ20年を称える「20」の数字が刻まれたものだ。

それを見て、久しぶりに全盛期の香川の動画を観た。

そして引っかかった。

このレベルの選手が、なぜ20代後半を「消えて」過ごしたのか。

ドルトムントでブンデスリーガを連覇し、マンチェスター・ユナイテッドでもプレミア制覇に貢献した選手が、ベシクタシュ、サラゴサ、PAOKと渡り歩き、気づけばJリーグに帰っていた。キャリアの黄金期であるはずの27歳から30歳が、欧州市場では事実上の空白になっている。

大きな怪我があったのか。監督と揉めたのか。それとも本人の限界だったのか。

調べて考えて、最終的に肚落ちした答えは、そのどれでもなかった。

消えたのは香川ではない。香川の「職」が消えたのだ。

まず怪我犯人説を検討して、棄却する

怪我は確かにあった。

2011年1月、アジアカップ準決勝の韓国戦で右第5中足骨を骨折。全治3カ月。疾走していたドルトムント1年目のシーズンが、そこで途切れた。

2012年秋には、ユナイテッド1年目の序盤に膝を痛めて約1カ月半離脱した。この負傷以降、初速の鋭さが微妙に落ちたという指摘は当時からある。

だが、キャリアを断ち切るレベルの大怪我は一度もない。

数字を見ればわかる。骨折の翌シーズン、香川はリーグ31試合13得点でドルトムントの連覇を牽引した。膝の負傷があったユナイテッド1年目も、リーグ20試合6得点で優勝メンバーだ。プレミアリーグでアジア人初のハットトリックを決めたのは、膝をやった後の2013年3月である。

つまり怪我は、キャリア下降の必要条件としても弱い。

犯人は別にいる。

ファーガソンの引退という、最悪のタイミング

2012年、香川を名指しで獲得したのはアレックス・ファーガソンだった。

そのファーガソンが、わずか1年で引退した。

これが第一の不運だ。後任のモイーズ以降、ユナイテッドの監督は誰も香川を中央のトップ下で使う設計をしなかった。左サイドに追いやられ、2014年1月にマタが加入した時点で序列は確定した。2013-14シーズン、香川のリーグ戦の得点はゼロである。

「自分を評価する監督の庇護下で輝く選手」が、その庇護を最速で失った。

ただ、これだけならよくある話だ。監督が代わって干される選手は毎年いる。彼らの多くは、移籍先で評価者を見つけて復活する。

香川は2014年夏、その通りに動いた。自分を最も評価してくれた場所、ドルトムントに帰ったのだ。

それでも、かつての輝きは戻らなかった。

なぜか。ここからが本題である。

絶滅したのは技術ではなく「守備免除条項」

香川の全盛期スキルを分解すると、こうなる。

狭いスペースでのワンタッチ。ライン間で受ける動き出し。ペナルティエリア手前での判断速度。

そして、ペナルティエリアの中での決定力。個人的に一番痺れたのはここだ。10番でありながら、ゴール前ではストライカーの顔になる。飛び出してくるGKの重心を見切って、ふわりと浮かすループシュートが絶妙だった。強振しない。コースに流し込むか、浮かすか、ラストパスに切り替えるか。混雑したペナルティエリアの中で、一人だけエリアの外から自分たちを見ているかのようなプレーだった。

古典的なファンタジスタ、つまり「10番」の技能セットだ。ドルトムント時代の2シーズンでリーグ21得点という数字は、この決定力があってこそである。

そしてこの職には、暗黙の契約条項がついていた。守備をあまりしなくていい。その代わり、攻撃で違いを作れ。

これを「守備免除条項」と呼びたい。

2010年代半ば、この条項が欧州サッカーから一斉に削除された。ゲーゲンプレスの標準化と4-3-3化である。前線の選手は全員が第一守備者になり、ライン間のスペースは組織的に圧縮された。トップ下というポジション自体が、多くの強豪のフォーメーションから消えた。

復帰後のドルトムントがまさにそうだった。トゥヘルは香川型の10番を戦術の中心に据えず、ファヴレに至っては構想外。2018-19シーズン、香川のリーグ出場はわずか2試合である。

ここで重要なのは、その後の香川の成績だ。

ベシクタシュでは半年で14試合4得点。サラゴサでもリーグ33試合に出て中心選手だった。パフォーマンスは出ている。それでもビッグクラブからの需要は戻らなかった。

消えたのはパフォーマンスではない。市場価値のほうだ。

10番という職種の求人が、欧州のトップ市場からなくなった。だから技術がどれだけ残っていても、値段がつかない。香川の20代後半は、個人の停滞ではなく、職種ごとの構造不況だったのである。

守備免除ファンタジスタたちが輝いていた時代

ここで少し、懐かしい話をさせてほしい。

私の世代のファンタジスタ原体験は、ロベルト・バッジョだ。

1994年のアメリカW杯。守備には戻らない。ただボールを持てば、一人で試合を決める。あの「神のポニーテール」が背負っていたのは、チームの攻撃の全権と、実質的な守備免除だった。

その系譜は長く続いた。

ジダン。ルイ・コスタ。トッティ。デル・ピエロ。リケルメ。少し下ってロナウジーニョ、カカ。日本なら中村俊輔がこの職種だろう。

彼らに共通するのは、細身であることだ。

偶然ではない。守備免除条項の下では、筋量よりも俊敏性と技術に全リソースを振るのが最適解だった。ひょろひょろの体は怠慢の証ではなく、職務に合わせた合理的な設計だったのだ。

この職種の最終世代が、スナイデル、マタ、ハメス・ロドリゲス、イスコ、そしてエジルである。

彼らは全員、20代後半で香川と似た軌道を描いた。エジルはアーセナルで干され、マタはユナイテッドのベンチに沈み、ハメスは移籍を繰り返した。個人の失敗と呼ぶには、あまりに同期している。

世代ごと、職種ごと沈んだのだ。

余談だが、引退したエジルは現在、別人のような筋骨隆々の体になっている。細身の代名詞だった男が、である。

ファンタジスタという職が要求しなかったものを、職を失った後に彼は手に入れた。現役時代に筋肉をつけなかったのは能力の欠如ではなく、職業上の選択だったことの、これ以上ない証明だと思う。

では、あの才能はどこへ行ったのか

10番の求人は消えた。だが、10番の才能が要らなくなったわけではない。

ペドリを見るとわかる。

狭所でのワンタッチ、ライン間で受ける技術。やっていることは香川やエジルと同種だ。違うのは契約条項である。ペドリはインテリオールとして守備タスクをフルに背負った上で、あの技術を発揮している。

つまり、絶滅したのは技術ではなく免除条項で、技術そのものは8番のジョブディスクリプションに吸収された。

エジル、デ・ブライネ、ペドリと並べると、10番の才能が世代を追うごとに走力と守備まで求められるようになっていく歴史として読める。才能の型は変わっていない。クラブが求めるジョブディスクリプションのほうが書き換わったのだ。

だから、こう思う。

香川真司が10年遅く生まれていたら、ペドリ型の8番として大成した可能性は十分にあった。逆にペドリが2010年にデビューしていたら、普通に10番をやっていたはずだ。

怪我犯人説から始めて、着地したのは戦術史の進化における「職種の絶滅」だった。

怪我は小さな要因。ファーガソン引退のタイミングは大きな不運。だが決定打は、ファンタジスタという職が市場から消えたという構造変化である。エジルもマタもハメスも同時に沈んだことが、個人の失敗説を棄却する最も強い証拠だ。

そして香川は今、37歳になる年に、まだセレッソでプレーしている。

古巣ドルトムントが贈った「20」のトロフィーは、20年間プロであり続けたことへの賛辞だ。職種が絶滅した後も現役を続けるのは、職種が現役の間に輝くよりも、たぶん難しい。

全盛期の動画を観て「なぜ消えたのか」と感傷に浸るより、消えた後もボールを蹴り続けている現在のほうに、敬意を払うべきなのだろう。


動画

参考


この文章は原案・ディレクション:九頭龍、作文:AIで書いています。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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