善意で回る仕組みは、安上がりだから脆い 〜FIFAのFFE計画から思ったことの続き〜

最終更新日

前回の続きから

前回、FIFAという組織を分解した。

出てきたのは二本だった。非営利という形が禁じているのは利益の発生ではなく外部への分配であること。そして外部に分け前を受け取る者がいないと、外から損得を勘定する者もいなくなること。

そのうえで、自分の予測が外れた話も書いた。FFEの計画は4日で撤回された。止めたのは、内側にいて生産要素を握っていた加盟協会だった。声ではなく退出だ。ただしそれは組織の監視装置ではなく、個別の取引に対する拒否権にすぎない。取り分も、監視の空白も、そのまま残っている。

今回はその続きになる。同じ機構は、スポーツ団体に固有のものではない。

節税法人と同じ構造の、監視が弱いほうの実装

大企業の経営者が法人を立てて節税し、そのうち内部がずぶずぶになる——という話がある。理論上は、FIFAとまったく同じ箱に入る。残余請求権者の不在、監視動機の消失、剰余の役得への転化。式は一本だ。

だが、取り分の出所が違う。そしてその違いが「誰に取り締まる資格があるか」を決める。

節税型の取り分の出所は、税の補助金だ。損をしているのは納税者で、その代理人は税務当局だ。そして税務当局は牙を持っている。米国なら私的財団の自己取引課税(IRC §4941)、過大な便益供与への課税(§4958)、Form 990による強制開示。日本でも一般社団法人を使った相続税回避は、平成30年度税制改正で「特定一般社団法人等」の理事に対する相続税課税が創設されて塞がれた。同族理事の割合にも縛りがある。

FIFA型の取り分の出所は、独占の上がりだ。放送局とスポンサーが払っている。すると納税者も株主も債権者も、「損をした」と言って外から請求権を行使できない。常設の監視者が最初からいない。

つまり、節税法人のほうがまだ監視されている。同じ構造の、悪いほうの実装がFIFAだ。

そして節税の穴は、立法で塞がれた。塞げたのは、外に税務当局という常設の監視者がいたからだ。

使われていない権限も、手つかずの取り分である

ここで固有名をひとつ置く。断罪のためではなく、構造を確かめるための一点としてだ。

トランプ大統領は2025年、IEEPA(国際緊急経済権限法、1977年成立)を根拠に「フェンタニル」関税と「相互」関税を課した。

条文にあるのは「regulate(規制する)」という語だ。関税を課してよいとは書いていない。だが規制の一形態と読めなくもない。合法か違法かは、条文だけからは即断できない。実際、最高裁の3人の判事は、条文と先例は関税賦課を授権していると読んだ。

2026年2月20日、連邦最高裁は6対3でこれを違法と判断した(Learning Resources, Inc. v. Trump)。

この文脈で重要なのは、結論よりロバーツ長官の理由づけのほうだ。IEEPAの半世紀の歴史の中で、どの大統領もこの法律を関税賦課に使ったことがなかった——判決はその事実を、権限が及ばないことの根拠のひとつとして挙げている。

48年間、条文上は読めたかもしれない権限が、一度も使われずに積まれていた。使われなかったから、使えないことになっていた。

使われずに積まれた権限は、手つかずの取り分だ。誰も取りに行かないというだけで、そこにある。非分配制約の下でたまっていく非金銭の取り分と、形式的には同じものだ。

そして、前回の三つの条件が同じ順に並ぶ。取り分は存在する(使われずに残っている権限)。監視は弱い(同じ党の議員は内部者だ。加盟協会と同じ位置にいるが、加盟協会が握っていたような生産要素は握っていない。議席は本人のもので、政権の商品ではない)。アウトレイジ制約は反転している(自分の支持層を持てるので、批判は罰ではなく資源になる)。

ただし、ひとつ大きく違う。

こちらには裁判所があった。FIFAにはない。

判決の直後に当該の大統領令は撤回され、1660億ドルを超えるとされる既収関税の還付が動き出した(実務の手当てはまだ揉めている)。外部に立てる監視者がひとつでも残っていれば、48年分の在庫は差し戻される。残っていなければ、百年分の資産がそのまま持ち出される。

二つを並べる意味は、たぶんそこにある。

なぜ、いま一斉に起きるのか

百年近く概ね保たれてきた「善意で回る仕組み」を、ルールの隙を突いて揺さぶる人間が、あちこちで同時に現れているように見える。これにも名前がある。

行為の名前は、憲法学の constitutional hardball(Tushnet, 2004)。条文には違反しないが、その仕組みを成り立たせてきた不文律に違反する手を指す。Levitsky & Ziblatt(2018)の言い方だと institutional forbearance(自制)の崩壊。合法的に使える権限をあえて使い切らない、という慣行が消えることだ。「できる限りのことをやり切る」は、forbearanceの定義の否定形になっている。

同時多発の名前は、カスケードだ。Kuran(1995)の選好偽装。規範は本音を抑圧しているだけで、抑圧のコストは「他人も守っている」という観測に依存する。だから目立つ違反者がひとり出ると、抑圧が一斉に解除される。Sunstein はこれを “Unleashed”(2018)という題で論じた。実証もある。Bursztyn, Egorov & Fiorin(2020, AER)は、選挙結果が排外的な意見を公然と述べる意思をどれだけ引き上げるかを実験で測っている。

「なぜ今か」の候補は三つある。

Olson(1982)——長期の安定それ自体が原因。安定した社会には分配連合が累積する。百年もった仕組みほど取り分が大きく、継ぎ目の位置が周知され、逸脱の期待値が高い。

Turchin のエリート過剰生産——椅子より志望者が多くなると、規範遵守が競争上の不利になる。分野横断で同時に起きる理由の説明としては一番直接的だ。ただし方法論への批判は多いので、割り引いて読む必要がある。

三つ目が、前回のアウトレイジ制約と接続する。あの制約は、世間が一枚岩であることを暗黙に前提していた。注意が断片化し、自分の支持層を持てる時代には、憤慨は罰ではなく資源に変わる。Hahl, Kim & Zuckerman Sivan(2018, ASR)は、既存秩序が正統性を失ったと感じている層に対しては、公然たる規範違反が「本物らしさ」の信号として機能することを示している。制約の符号が反転している。

弱点も出しておく

この議論の弱点はふたつある。

ひとつ。constitutional hardball の研究には、どちら側がより多くやっているかという論争があり、決着していない。Fishkin & Pozen(2018)が非対称性を主張し、Bernstein(2018)が同じ誌上で反論している。概念そのものは有用だが、責任の配分に使おうとした途端に係争的になる。

ふたつ。「今の時代に特有か」は自明ではない。金ぴか時代にも1930年代にも、同じ議論があった。増えたのがそういう人間の数なのか、そういう人間が勝つ確率なのかは別問題だ。後者なら測れるが、前者は測りにくい。私は後者だと思っているが、これは仮説の域を出ない。

省いた分だけ脆い

まとめる。

善意で回る仕組みは、強制装置を省けるから安い。監査も担保も罰則も訴訟も要らない。だから広く普及する。そして省いた分だけ脆い。

Minskyの「安定が不安定を生む」と同じ形をしている。うまくいっている期間が長いほど、なぜそこに柵が立っているかを誰も覚えていない。Chestertonの柵が撤去されるのは、いつもそのときだ。

そして、この二回で見てきた事例の差は、結局ひとつの変数だった。誰か止められる者が残っているかどうか。

三通りあった。税務当局が残っていれば、節税の穴は立法で塞がれる。裁判所が残っていれば、48年分は差し戻される。どちらもいなければ、生産要素を握った内部者が降りると脅すしかない。

前の二つは常設の装置だ。三つ目は、そのつど高い代償を払って組み立てる臨時の連合でしかない。FIFAで作動したのは三つ目だった。作動したこと自体はいい知らせだが、常設の装置がひとつも残っていなかったことの裏返しでもある。

善意は、仕組みを安く動かす燃料としては優秀だ。ただし、それを守る装置ではない。


参考

  • 前回の記事「非営利は、儲けないという意味ではない」 — (公開後にURLを追記)
  • Learning Resources, Inc. v. Trump(2026年2月20日)の争点整理(SCOTUSblog) — リンク
  • 同判決の議会調査局(CRS)による解説 — リンク
  • 判決後の還付実務と既収額(BDO) — リンク
  • Fishkin & Pozen (2018) “Asymmetric Constitutional Hardball”, Columbia Law Review 118 — リンク
  • Bernstein (2018) “Constitutional Hardball Yes, Asymmetric Not So Much”, Columbia Law Review Online 118 — リンク
  • Chafetz & Pozen (2018) “How Constitutional Norms Break Down”, UCLA Law Review 65 — リンク
  • Tushnet (2004) “Constitutional Hardball”, John Marshall Law Review 37(書誌のみ)
  • Levitsky & Ziblatt (2018) How Democracies Die, Crown(同上)
  • Kuran (1995) Private Truths, Public Lies, Harvard University Press(同上)
  • Sunstein (2018) “Unleashed”, Social Research 85(1)(同上)
  • Bursztyn, Egorov & Fiorin (2020) “From Extreme to Mainstream: The Erosion of Social Norms”, American Economic Review 110(11)(同上)
  • Hahl, Kim & Zuckerman Sivan (2018) “The Authentic Appeal of the Lying Demagogue”, American Sociological Review 83(1)(同上)
  • Olson (1982) The Rise and Decline of Nations, Yale University Press(同上)
  • Turchin (2023) End Times, Penguin(同上)

この文章は原案・ディレクション:九頭龍、作文:AIで書いています。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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