スタートアップにおける搾取構造の螺旋について

最近、ふと考え込んだ話がある。

知人が、あるスタートアップに初期メンバーとして関わっていた。社会人経験2年目程度のド新人だったが、彼は本当によく働いた。立ち上げ当初の数名しかいない段階で、寝食を削って実務を回した貴重な一人である。その会社は順調に成長し、やがてIPOに至る。

幸運にも有価証券報告書は誰でも確認できる。彼が得たストックオプションは、普通の会社員から見れば決して小さくない金額だった。しかしCEOクラスが得たリターンと比べると、桁が三つほど違った。

もちろん、CEOが優秀だったことは事実である。彼もCEOを心から尊敬していた。経営判断の多くはCEOの承認や促しの上で動いていた。それはその通りだろう。

しかし、それでもこの金額差はなんだ、と思う。

4層の構造

この違和感を整理してみる。

表層:制度の硬直性。SOプールの上限、既存株主からの反発、上場企業の給与規程。事実として制度は硬い。だが「硬い」のは偶然ではなく、超過リターンが株式ポジションに集約されるよう設計されているからこそ硬い。——つまり、会社が成功したときに生まれる大きな利益(超過リターン)は、株式を保有している人のところに集まる仕組みになっていて、その仕組みが崩れないように各種の制度が硬く組まれている、ということだ。

情報非対称。入社時点で会社価値は未確定、フェアな比較対象もない。最終的に自分の持分比率が何%になるのか、他メンバーにはいくら付与されているのか、プール全体の設計はどうなっているのか——これらに新人がアクセスできることは稀である。「この付与で妥当か」を判断する材料がそもそも与えられていない。

リスク種別のミスマッチ。初期メンバーのリスクは、数年のキャリア、健康、機会コスト。創業者のリスクは、それに加えて個人保証、資産、レピュテーション。リスクの種類は確かに違う。だが成功時の分配は「投下資本」ベースの株式制度に沿う。労働の寄与は、リターン配分の変数に入っていない設計になっている。

ポジション帰属か、貢献帰属か。上場時の超過リターンは「組織を動かした貢献」ではなく「株式というポジション」に帰属する。優秀さや寄与の量ではなく、「誰が株を持っていたか」で分配が決まる。会社法と証券市場の基本設計そのものである。

螺旋になる理由

この構造が再生産されるメカニズムがある。

成功した創業者は、次のサイクルでVCやエンジェルになる。自分が経験した構造を、合理的に、そのまま再生産する。SOプール比率、バリュエーション設計、希薄化設計——すべての「業界常識」が超過リターンを創業者・投資家側に寄せる方向でキャリブレートされ、次世代の規範になっていく。

一度成立した構造が再帰的に強化される。これが螺旋である。

労働資本はリスクと認定されない

シンプルに言えば、制度設計上、労働資本の投下は「リスクを取った」と見なされない。

金銭資本は、投下額が明示的で、失敗時に毀損が可視化される。だからリスクと認定され、超過リターン請求権(株式)が付与される。

一方、労働資本は、投下額が不可視である。「給料もらってたでしょ?」という反論が常に可能だし、失敗時の毀損は「転職すればいい」で処理される。だからリスクと認定されず、超過リターン請求権が付与されない。

しかし実際には、スタートアップ初期メンバーの労働投下には、時間の非代替性(20代の数年は戻らない)、機会コストの不可視な毀損、失敗したときに「潰れた会社にいた人」とレッテルを貼られるリスクがある。これらは金銭資本の毀損と経済的には同等のリスクなのだが、計測されないから存在しないことにされている、というのが制度の構造である。

会計処理が移転を隠蔽する

もう一段掘ると、これは会計上の処理の違いがそのまま資本構造に反映されている。

低い給与、未払い残業、ボーナスなし、休日出勤。これらはP/Lで「コスト削減」として処理される。貸借対照表には一切痕跡が残らない。

一方、金銭出資、転換社債、SO付与。これらはB/Sを経由して持分請求権に変換される。

つまり、P/Lで消化されるものは資本構造に残らず、B/Sを経由するものだけが残る

労働側が我慢した分は、すべてP/L側で「コスト削減」として処理される。そして、その削減分はどこに行ったか。企業価値の上昇として株主持分に計上される。労働者が賃金を我慢した分が、株主持分に静かに移転する。移転は起きているのに、会計上は「何も起きていない」ように見える。

これは搾取だと言っていい。古典的なマルクス的搾取(賃金における剰余価値の収奪)とは少し違う。より正確には「成功時の大きな利益をもらう権利が、労働でどれだけ貢献したかとは関係なく分配されてしまう設計」である。そしてこちらのほうが、金額的には圧倒的に大きい。

個人としてどう距離を取るか

世の中の風潮を変える力は自分にはない。制度を変える政治力もない。では、個人としてこの螺旋からどう距離を取るか。

創業者サイドであれば、売却もIPOもしない選択がある。成長資金を内部留保と借入で賄える事業なら、これは成立する。仮に売却やIPOが発生するなら、その前に株主が得る超過リターンをどう従業員に配分するかを、きちんと設計しておく。この設計がないまま上場やバイアウトを行うのは、構造を理解した上で配分設計を怠る、という意味で故意の搾取である。

雇われサイドなら、既に上場している会社に入って、普通に給料をもらうのが、どちらかというと螺旋から一番遠い。特に労働組合がしっかりしていて、配当よりもベースアップを主張するような会社なら、なおのことだ。欧州型の共同決定制度がある国なら、さらに構造的に距離が取れる。

フリーランスや業務委託の立場なら、値段に妥協しないことが最大の防御である。「その代わりに未来の何々を」は、超過リターン請求権への誘導であり、実態はSOをもらえない労働投下と同じ構造を生む。現金一括で取り切るのが、螺旋からの距離を最大化する。

「めんどくさいやつ問題」

ただし、ここに不文律がある。値段に妥協しない人間は、「めんどくさいやつ」としてラベリングされ、仕事が回ってこなくなる可能性がある。

これは搾取構造の自己防衛機能だと思う。構造は、搾取を受容する人間を優遇し、拒否する人間を排除することで自己を再生産する。「めんどくさいやつ」というラベルは、構造が自分を守るために発行するマーカーである。

対抗策は、代替可能性を下げること、顧客ポートフォリオを分散すること、「私が強欲なのではなく、これが相場です」と言える根拠を持っておくこと(海外レート、公開されたコンサル料金、同業者の相場など、外から参照できる基準を使うこと)、そして「めんどくさいと思う発注者」をフィルタすること。残った発注者は、その条件を受け入れられる相手、つまり対等な取引ができる相手である。

到達可能な善

ここまで書いてきた通り、世の中の風潮を動かす力も、制度を設計し直すだけの政治力も、自分は持ち合わせていない。そもそも、人間の独占欲に紐づいた構造なので、根本的には変えられない。以前、深く関わっていた会社で既存株主からの買い取りを横目で見たことがあるが、社長の消耗は酷かったし、金銭的にもだいぶ失っていた。お互いがお互いを嫌いになり、良い落としどころなどなかった。

数人の手の中で、金額の多寡は決まっていく。その外では、尊敬も、努力も、感謝すらも、数字を動かす力を持たない。善意のまま始まった関係が、気づけばモヤモヤと疎遠に変わっていく。——そんなものを、最初から持たないでいられるなら、それに越したことはない。

自分にできるのは、関わる数社を「マシにする」ことだけだ。次世代の創業者10人が、従業員への分配設計を最初から組み込んで会社を作れば、その先の従業員100人・1000人の人生が変わる。制度を変えなくても、制度の運用を変えることはできる。到達可能な善に、資源を集中するしかない。

この文章は原案・ディレクション:九頭龍、作文:AIで書いています。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

シェアする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

コメントする