メンターに何を期待して、何を期待しないか
この4月から、NEDOのNEP(NEDO Entrepreneurs Program)でAccompany Runner(AR)——伴走支援者——を務めることになった。ディープテック分野で起業を目指す個人やチームに対して、ビジネスモデルの構築をハンズオンで支援するポジションだ。詳しくはNEPの特設サイトに譲るが、ざっくり言うと「経験豊富な伴走支援者」という位置づけになる。
で、この話をいただいてから改めて考えたのが、自分は伴走者として何を提供すべきで、何は提供できないのかという整理だ。今まで個別の会社でアドバイザーや顧問をやってきた中でも、似たようなことは感じてきた。ただ今回は公募を経て選ばれた人たちを担当するわけで、期待値の設計を自分の中できちんとしておかないと、お互いにフェアじゃない。
「メンターって結局、何をしてくれる人なんですか?」と真顔で聞かれることは、実はあまりない。そういうことを面と向かって聞く人は少なくて、たいていは期待と実体のズレを感じたまま、なんとなく雰囲気が悪くなって離れていく。だからこそ、メンター側が自分で整理しておく必要がある、という話でもある。
自分自身、いくつかの会社でメンター的な立場で関わってきたし、逆に自分にとってのメンターと呼べる人も何人かいる。だから「メンターとは何か」は実感を持って語れるはずなのだが、いざ言語化しようとすると、どの定義もどこか嘘っぽくなる。
「経験豊富な助言者」はきれいごとすぎる。
「正解を教えてくれる人」は明らかに違う。
「業界の人脈をつないでくれる人」はそれもあるけど本質じゃない。
今回NEPの件をきっかけに腰を据えて整理する機会があって、自分なりに一貫した答えが出た。今回はその話を書いておきたい。
メンターに「期待してはいけないこと」
まず、何を期待してはいけないかから整理する方がわかりやすい。ここを間違えると、メンター・メンティー双方にとって関係が歪む。
① 正解をくれる人ではない
メンターはメンティーよりも経験豊富な立場として関わる、というのがおおよその前提ではある。しかし経験豊富だからといって、メンティーが今直面している状況を全て経験しているわけではない。事情は人それぞれだし、時代も違う。だからメンターを「正解を持っている人」と捉えると、必ずどこかでずれる。これはメンター側が「正解をくれる人」として振る舞ってしまうと、より深刻に壊れる。
② 人脈紹介が必ずしも解決につながるわけでもない
メンターがある程度の経験を積んでいると、人脈の面でもメンティーを助けられる場面はある。しかし紹介された先の人が必ずしもメンティーの問題を解いてくれるわけではない。結局のところ、メンティーの問題はメンティー自身しか解けない。紹介は接点を作るだけであって、答えを作るわけではない。
③ 体験談も、そのまま役に立つとは限らない
「私が若い頃はこうだった」という話は、メンター側からは気持ちよく語れる。しかし体験談は「同じ構造の問題には効く」ものであって、違う構造には効かない。むしろ似ているようで違う場面に体験談を当てはめてしまうと、メンティーを間違った方向に押してしまう。体験談は資料のひとつとして提供されるべきもので、処方箋ではない。
こうやって並べると、メンターの提供価値って結構頼りない。「正解も、人脈も、体験談も、必ずしも役に立つとは限らない」となると、そもそも何のための存在なのか、という話になる。
だからこそ、期待値を一度下げるのが正解だと思う。過剰に信頼してもらうより、「こういう意味では役に立たないですよ」を最初にはっきりさせた方が、結果として長く機能する関係になる。
メンターが「必ず提供できること」
では、期待値を下げた上で、何は保証できるのか。
- 寄り添って話を聞くこと
- 常にメンティーの味方であること
- 見捨てないこと
- 直接の利害関係が薄いこと
これは経験値や知識量に左右されない。意志で保証できる。そしてメンティーにとっては、この組み合わせを提供してくれる相手が、実は他にあまりいない。
上司は評価者だから本音は言いづらい。同僚はライバルでもある。投資家は出資者として利害がある。家族や友人は味方だが、悩みの次元が噛み合わないことが多い。つまり「味方」かつ「話が通じる」かつ「利害が薄い」の三条件を満たす相手は、日常生活の中に意外なほど存在しない。
メンターはこの三条件を意図的に満たせるポジションにいる。これが本体の価値だと思う。
一言でまとめるなら、「経験豊富なお兄ちゃんが、常に味方として話を聞いてくれる」くらいの表現が一番しっくりくる。過剰でもなく、過小でもない。
なぜこれが切実に必要か — 経営者の孤独という現実
ここからは特に経営者や経営層の話になるが、役職が上がるほど、話せる相手がいなくなるという現実がある。
社員には弱音を見せられない。株主やステークホルダーに対しては尚更、社内の愚痴なんて言えるわけがない。家族や友人は常に味方でいてくれるが、悩みの粒度がそもそも違う。銀行の交渉、資本政策、人員整理、投資家との駆け引き、退職交渉——こういう話を一般の家族との会話の中で真剣に処理するのは、構造的に無理がある。
で、結果として誰にも話せない。意思決定の質も下がるし、精神的にも削られる。これは経営者だけの話ではなく、ある程度の責任を持つポジションにいる人には共通する構造だと思う。
メンターが価値を発揮するのはまさにここだ。同等かそれ以上の修羅場を経験しているから文脈が通じる。周囲にも多様な経歴の人がいるから、「わかる」か「わかる人を知っている」かのどちらかで応じられる。そして、利害関係が薄いから率直でいられる。
この構造的必然性が分かると、「メンターに何を期待すべきか」という問いは、「経営者・リーダーの孤独をどう設計するか」という問いの一部だということが見えてくる。
話を聞くことの隠れた効用
もう一点だけ付け加えたい。
メンターが「聞く」ことには、単なる受動的な役割を超えた効用がある。
メンティー側は、誰にも話せなかったことを言葉にすることで、自分自身の考えを整理できる。つまりメンターが正解を与えなくても、メンティー自身が正解に近づく過程を支えている、ということになる。
これは採用の面接やコーチングの現場にいるとよく分かる話で、人は、信頼できる相手に向かって話し始めて初めて、自分が本当は何を考えているかに気づくことがしばしばある。メンターはその発話の機会そのものを提供している。
この意味で、「話を聞く」は消極的な行為ではない。むしろメンターの仕事の中で、一番きちんと価値を出せている時間かもしれない。
まとめ — 期待値設計としてのメンターシップ
整理するとこうなる。
- 期待値を下げるべき領域 — 正解、人脈、体験談はどれも不確実。メンターを「答えをくれる人」と見ない
- 保証できる価値 — 味方でいること、聞くこと、見捨てないこと、利害関係の薄さ
- 構造的必然性 — 経営者・リーダーは孤独になる構造を持っており、その孤独を受け止められるポジションにメンターがいる
- 一言で言うと — 経験豊富なお兄ちゃんが、常に味方として話を聞いてくれる存在
どちらかというと、私はメンターを依頼する側としても、される側としても、この整理で肚落ちしている。
過剰に期待されると申し訳ないし、過小評価されるとそれはそれで関係が続かない。「できないこと」を先に明確にした上で、「できること」は安定して提供する——これが長く機能するメンター関係の肝だと思う。
そしてこれは実のところ、メンターシップに限らず、あらゆる信頼関係の設計原理でもある。
NEPのARとして、これから関わる起業家候補の方々にも、この姿勢で臨みたいと思っている。正解は一緒に探すもので、こちらが持っているものではない。ただ、こちらが提供できるものは、きちんと安定して提供する。それだけの話だ。
この文章は原案・ディレクション:九頭龍、作文:AIで書いています。
