Q. キャリアをどのくらいまで見通せばよいでしょうか?

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professional architect working with draft in office

この話題の対象者は、ある程度キャリアを積んでいるものも、現在の仕事が成長につながっている確信が持てない、どちらかというと他にやりたいことがある、というような人です。 またこれはエンジニアのみではなく広範にあてはまる悩みなのではないかと思います。

この話をするためにはまず私のキャリアを「フェーズ」で捉えて振り返る必要があります。

私は大学院卒で就職しましたが、20代前半はとにかく基礎を勉強しながらの小間使いでした。試作部品調達の手配をしたり、採用候補部品をひたすら交換しながら波形データを取ったり、データシートをかき集めて先輩やベテランエンジニアに見せれる形にドキュメントを整えたり。CADの使い方を覚えたらひたすら先輩が決めた仕様や変更内容が満たされるように精度計算しながら基板を作ってまた波形測って、と過ごしていました。おそらく開発力でいったら同じ年頃の多くの高専卒エンジニアやロボコン経験者などに比べたら恐ろしいほど低かったと思います。しかし私はこの期間をひたすら「勉強のフェーズ」として捉えていました。

20代後半は「独立のフェーズ」。何事も自分の意思で考え、実行するようにしました。そのせいで酷いめに何度も合いましたし労働時間は究極のブラックでした。しかしあの七転八倒して何度も死にかけた苦労の時期がなければ、私は自らの技術力に確信を持つことは難しかったと思っています。何事も試さなければ正しく評価することはできません。エンジニアリングの基本です。この時期はそもそもそのようなスタンスで行動することが許された環境が非常にありがたかったです。私のOJTだった先輩がちょうど部門長になるタイミングでその部門に引っ張ってもらいました。そんな偶然が重なったことによって話はとてもスムーズでした。

アラサーは一転「チームマネージメントのフェーズ」でした。ある程度「自分が一人でできること」が見えたのち、次にそれをチームを動かすことでさらに拡張する段階です。30歳前後でそういう管理業務をすることを「早過ぎる」「もっと開発をやりたい」とネガティヴに捉える同世代もいましたが、私は結局のところ「実質的プレイングマネージャー(職位は上がっていない)」だったので他人(上司)のふんどしでシコ踏んでそれを自らの経験にする、というとても実りのある時期でした。商品企画をやり、周囲を口説き、予算を確保し、チームを運営し、回路図も書き、ソースコードのレビューもし、EMC対策もやり、法務関係の話も整理し、開発予算の管理をし、日程を調整し、仕様を調整し、製造工場にたまに怒られ、プロモーションの段取りをし、必要があれば登壇だろうとヨドバシの店頭営業だろうとなんでもやる、という調子で。この時期も結局は上司に恵まれたのだと思います。サラリーマンとしての師匠Aさん。サラリーマンという立場ながら如何に自己実現を行い面白おかしく生きていくかという究極の処世術を私に教えてくれた永遠の恩師です。

転職後の30代前半はひたすら「挑戦のフェーズ」でした。 一通りのものを身につけた自信を持ってシリコンバレーへ渡ったタイミングです。 果たして自分は通用するのか? MIT卒でAppleやGoogleでキャリアを築いてるやつらの実力とはどんなものなのだろう?自分はどのくらいやり合えるのだろう?別の項でも都度触れていますが、この数年間での価値観の変遷は大きなものでした。今となってもたまに衝動的に数々の場面を思い出すことがあります。素晴らしい時期でした。30代後半は「CxOをやるフェーズ」と決めていましたが、その時期、どういう風の吹き回しか自分でもわかりませんでしたが、もう捨てたつもり(笑)だった日本に貢献したいという気持ちがフツフツと出てきていました。そのひとつとして日本でスタートアップをやることはとても良い案のように思えたので日本に帰ることにしました

エンジェル投資家になるには全く稼いでませんし、アドバイザーやサポート的な仕事に回るにはまだ早いと思いましたし、いちエンジニアとして生きるならシリコンバレーの方が間違いなく幸せです。しかしそれよりもむしろ自身でリファレンスになるような会社が作れないだろうか、というアイディアが当時の私のモチベーションにはとてもフィットしました。結果的にCTOを務めるわけですが、これも見るとやるとは大違いでした。Miselu時代にボスのJには不満やら言いたいことやら色々あったものですが、今ならより一層深く理解し合って美味しいワインが飲める気がします。

40代は幾分成り行きのところがありますが「活動の多面化のフェーズ」です。 元々想定していた30代後半でスタートアップを大成功させてアーリーリタイアするフェーズには乗りませんでしたが(笑)結果的には日本に帰る頃にぼんやりと思っていたことを順に行っているフェーズのようにも思えます。 シリコンバレーでは「石を投げれば2個に1個は起業家に当たる」と言われるような状況で、それが高校の同級生とか近所のお兄ちゃんとか、親とか親戚とか近しい距離で存在するわけです。それによって若者は起業することを非常に身近に捉えることができ、様々な参考になる話を若い頃から聞くこともできます。そういう社会的なインフラが整っていないことが日本の最大の弱点なので、ここに何か自分にもできることがあるのではないかと考えていました。

現在は純粋なエンジニアとしての働きよりも経営者としての活動や、むしろさらに舵を切った社会活動のようなものの比重が上がっています。エンジニアリングは当然大事ですし、未だに回路図も読めばトラ技は購読し、中国の怪しいアイテムを買ってはバラし、ときに集中的に時間をとってコーディングもしています。しかしそんなことは私にとっては、プロスポーツ選手のジョギングや筋トレのようなもので、それをしているだけで褒められることも誇れることも何もなくてそんなのするのは当たり前です。そこから更なるプラスアルファ、つまり社会的な価値をきちんとアウトプットすることが大事なことです。そしてそのために極めて重要なツールが経営です。現在色々なスタートアップなどに技術戦略から資金調達、採用計画まで含めたサポートをさせていただいています。また機会をいただいて講演したり、はたまた大学で学生に指導したりすることが許されています。このように元々構想していたことは形を変えながら行えているように思います。

フェーズはまだまだ続きます。TripleWを退いた直後、「アラフォーはプライムタイムだからね」とアドバイスを下さったエンジェル投資家の方がいました。技術力は間違いがなく、辛酸もひととおり舐め尽くし、まだ十分に体力も気力も野心もある。そういう年代だということです。しかし私は「キャリア」という側面ではむしろプライムタイムは常に存在するように思います。(これまでもこれからも)キャリアは一度成功したからといって勝ち抜けはできません。立ち上げたスタートアップを売却して大金を得て、それで浮世から姿を消してしまう人というのは実際にはかなり稀です。みなその後も社会と関わり続けます。キャリアは終わるどころか次のフェーズのスタートラインに立たされるだけなのです。

さて、冒頭の「見通し」についてですが、元々どのくらい考えていたかというと「都度1、2フェーズ先までなら考えていたかな」という程度が正直なところです。そこまで先読みして長期的な計画を立てていたわけではありません。

例えば、アメリカに行くという大きな決断は、前述の「独立のフェーズ」の頃には既に頭にありましたが、学生の頃には正直全く考えたことがありませんでした。 またサラリーマンとしてチームマネージメントに奔走していた時期にも起業して独立する思考は十分にありました。しかしそのプロセスが自分の成長曲線上で不明瞭だったため「まずは入ってみるのが良いだろう」と考えていました。この考えがあったことで、チャンスが転がってきた時に二つ返事でGOが出せたわけですが「その先のことは先になってから考えよう」と楽観的に捉えていたのは事実です。

社会人3年目くらいの時に母校の高校で登壇する機会をいただき、高校三年生に対して「ぜひ5年後の自分のイメージを持ってみてください」と言った記憶があります。5年という数字に当時特段の意味はなく、これから大学生になる彼らに「大学を出た後」に自分がどうなるか、どうしたいかを考えてみて、というメッセージでした。しかしながら今になって思うとなかなか絶妙の数字だったように思えます。将来についてあまり先読みをし過ぎてもその想定は大抵の場合で崩れます。フェーズで言えばせいぜい1、2フェーズ先。年数で言えば3〜5年程度までで十分です。

一般論ではありますが、長期的な未来を見通すことは基本的に不可能だと言って差し支えありません。 世界経済の歴史を紐解くと「実は西暦1600年くらいまでは経済発展らしい経済発展はなかった」と言われています。当然日々それなりに発展してきたわけで、全く成長がなかったなどと考えるのは合理的ではありません。しかし要するに近現代の数十年、数年での発展に比べたら1600年以前の成長などハナクソに等しかった、という意味なのでしょう。そしてこの流れはこれからより速くなることはあっても遅くなることは恐らくありません。仮にそれが起きるとしたらその時は急激な人口減少と大恐慌とともに起きるでしょうから、むしろ来ない方が嬉しいわけです。したがって基本的に未来というのは予測できるものではなくなると理解すべきです。

しかし大きなビジョンについてはぼんやりとした想定を持つのが良いというのが私の考え方です。 私は長期的には「技術」をパスポートに生きていくというぼんやりとした想定がありました。しかしそこへ一足飛びに届くことは考えにくく、そのためには多くのことを積み重ねなければならないという意識が学生の頃からありました。 重要なことは停滞させないことです。組織の都合はありますが、人生はあくまで個人のものです。もし何か停滞を感じるようであればあなたのキャリアプランは大変困ったことになるはずです。目の前のこときっちりやれない人間に先はありません。しかし目の前のことをこなした先がゴールに向いていないようであれば無理にそれを行う必要性は、個人のキャリアの観点においては、全くありません。その2点をきちんとバランスさせることがキャリアを見通す良い方法なのではないかと思います。

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幸せなIoTスタートアップの輪郭

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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